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「谷卯木の花」【その五】
佐 藤 悟 郎
【その一】 【その二】 【その三】 【その四】 【その五】 【その六】 【その七】
教務室に戻った白川先生は、山崎先生のところに行きました。
「高野君のピアノ、本物です。まるでプロのピアニストのようでした。是非、高野君の希望を叶えるのが良いと思います。」
そう言い終わると、白川先生は自分の机に腰を下ろしました。そして両肘を机の上にのせ、両手で顔を覆い、悲しくなって涙が流れてきたのです。白川先生は、自分が恵まれた環境でピアノを学んだこと、ピアニストを目指したが挫折してしまったことを思い出したのです。それでもプライドを捨てきれず、高校の音楽教師をしたこと、ピアノに対する熱意を失おうとしている自分の姿が、哀れで悲しく思ったのです。そして忠明のピアノに対する熱意を見たのです。
「これからの長い人生、どうすれば良いの。」
白川先生は、自問自答しました。そしてプライドを捨て、地道にピアノと向き合わなければならない、理解を深め、少しでも優れたピアノ演奏やピアノ指導ができるように、地道な努力をしなければならないと思ったのです。
忠明は、高校で卒業後の進路指導ということで、進路を尋ねられ東京芸術大学を志望したと、宮崎先生に話しました。
「忠明君は才能があり、それ以上に努力家です。思うように進むのが良いと思います。」
そう宮崎先生は言いました。宮崎先生の言ったことを胸にしまい、いつもの通り練習をしました。宮崎先生は、大学への推薦者になる覚悟を決めました。どうすれば少しでも忠明が人の目に止まるようになるか考えたのです。全国音楽コンクール出場を兼ねた地方での音楽コンクールは全て終わっていたのです。大学受験の際には、他の受験生より秀でた演奏するするほかないとも思いました。
数日後のことでした。授業が終わり廊下を歩いている忠明に、白川先生が声をかけたのです。
「町の文化会館ができて、そのお祝いの行事としてピアノコンクールをすることになったのです。急な企画で、一ヶ月後、参加資格は町の住人ということです。応募する人は、少ない見込みで高校にも話があったのです。コンクールは、小中学校の部と一般の部だけです。高校生は一般の部になるとのことです。高野君、出てみない。大学受験の際の参考になるかも知れないわ。」
忠明は、突然の話でどのような曲を選ぶのかと思ったのです。 「先生、できれば参加したいと思いますが、課題曲などはどうなっているのですか。」
と尋ねました。白川先生は、クスッと笑いました。
「突然の企画で、田舎のコンクールです。一度限りのコンクールでもあり、課題曲なんかないとのことです。でも余り長い曲にならないようにと言っておりました。高野君が、この間弾いたショパンのエチュードの中から数曲選べば十分ですよ。堂本さんも出ると言っていたわ。」
忠明は、コンクールとは、そんなものかなと思いました。町ではピアノを弾く人は、そう多くないと思っていました。ピアノ教室は三カ所しかなく、主に小中学生を対象としているものでした。
「高野君、ただ模範演奏で来られるのは、藤原小夜子先生よ。東京芸大の教授もなさっている先生よ。だから私は、高野君に参加を勧めるのよ。」
そう言う白川先生の言葉を聞いて、自分に対する思いやりを強く感じたのです。
忠明は宮崎先生の家でピアノを練習をしておりました。宮崎先生が学校から帰ってくると、練習を止めて、町のコンクールに出ることを話したのでした。
「そうね。参加者が多くないということで、町の方から学校にも問い合わせがあったわ。他のコンクールは全て終わったでしょう。模範演奏のため、藤原先生がいらっしゃるということです。審査員席に座りますが、審査には加わらないとのことです。模範演奏が終われば退場されるのでしょう。審査は、音楽教室の三人の先生方が当たるということです。」
少し不満そうに、宮崎先生は言いました。大方、ピアノ教室に通っている子供や、ピアノ教室で習ったことのある人に加点がされるだろうと言っておりました。
「結果に拘らなければ、参加するのも良いでしょう。こんな田舎のコンクールだから、仕方ないのかもね。」 そう宮崎先生は、呟きました。
町の文化会館竣工記念ピアノコンクールの日が来ました。午前中は竣工の記念行事が町長を始め、来賓が集まり祝賀行事が行われたのです。ピアノコンクールは午後となっており、出場者が集まりました。出場者は、小中学校の部が三カ所の音楽教室から四名ずつの十二名でした。一般の部は、町には高校二校あり三名ずつの六名、一般として町の音楽愛好クラブから三名の九名でした。
小中学生の演奏が始まりました。驚いたことに審査員でもある音楽教室の先生方が付き添いをしておりました。付き添いの人は、演奏者の後ろの椅子に腰掛けていることになっていたのですが、ページ捲りなどをしておりました。一時間半ほどで小中学生の部は終わったのです。一般の部が始まるまでは、休憩時間が設けられました。
その休憩時間を見計らったように、ステージホールには次から次へと観衆が入ってきたのです。一般の部が始まる直前になると観衆から大きな拍手に迎えられて藤原小夜子先生がホールの最前列に入ってきました。藤原先生は観衆に向かって挨拶をし、拍手が止むのを待って審査員席に腰を下ろしました。
観衆が大勢入ってきたのは、藤原先生の模範演奏を聴くために、町の人だけでなく他の市や町から来た人でホールは埋め尽くされたのです。町の企画では、文化会館の記念として「藤原小夜子先生の記念演奏会」としていたのですが、藤原先生から
「町のピアノ音楽の振興のため、ピアノコンクールを設定されては如何ですか。そうすれば、私は行きます。」
と言われ、条件を呑んでの企画となったのです。ただ細かい注文は付けないと言うことでした。特に審査には加わらないと言っていたとのことでした。
一般の部では、付き添いとして高校生は家の人か高校の音楽教師、音楽愛好クラブはクラブの責任者となっておりました。忠明には白川先生、堂本には母親が付き添うことになっておりました。特に、堂本の両親は町の名士で、母親は音楽に深い理解を示しておりました。文化会館の設立に当たって、堂本家から多額の寄付があったのです。そんなことで審査を任された音楽教室の先生方は、一般の部では堂本が第一位と申し合わせたのです。また堂本静子が、それだけの演奏力があると思っていました。
一般の部の演奏が始まりました。次から次へと出場者が弾いていきました。藤原先生は、実力的にそう差がないと思っておりました。誰が入賞するのかは、地元の音楽教室の先生方に任せても良いと思いました。ところが最後に男子高校生の忠明がピアノの前に腰を下ろしたのです。それまで出場者は全て女性だったのです。忠明が弾くショパンのエチュードを耳にした藤原先生は、思わず声が出そうになるほど感激を受けたのです。
「この子は、鬼気迫るものを持っている。」
他の出場者を遙かに超えた演奏で、演奏が終わると観衆もそれを知ったかのごとく、大きな拍手が長く続いたのです。
一般の部が終わると、審査ということで休憩となり、藤原先生も応接室に入り休憩をしていました。審査員は休憩している藤原先生のところに行き、一般の部の意見を求めたのです。藤原先生は言いました。
「田舎のコンクールでは、コンクールが始まる時には、もう順位が決まっている。そんな話を聞いたことがあります。今日のコンクール、二位や三位は、どなたでも構わないと思います。ただ、一位がどなたであるかは、皆様は承知していると思います。大勢の聴衆が来ておられます。笑い者にならないようにお願いします。」
藤原先生は、語気を強めて更に言いました。 「今日のコンクールは、私の演奏会の一部なのです。呉々も間違いないようにしてください。」
審査員の三名は、藤原先生の言葉を聞いて顔色が変わりました。藤原先生の怒りを買えば、音楽教室の生徒は離れ、結局閉鎖となるからでした。
「藤原先生、一位は男子高校生の高野忠明さんでよろしいでしょうか。」 最年長の審査員が言ったのです。藤原先生は、
「勿論、そうです。後は、そちらの都合で良いと思います。言っておきますが、コンクールであれば採点表くらい手元に置いておくものですよ。」
そう注意がましいことを藤原先生は言いました。三人の審査員は、詫びるように頭を下げました。
審査が終わり成績発表、それに続き表彰が行われました。その後藤原先生の演奏会が行われました。藤原先生のピアノ演奏に満足した聴衆は帰っていきました。町長以下関係者には、行事が大盛況に終わったことに喜びが溢れていたのです。
会食の席が設けられました。藤原先生は席に座っている人を一通り見たのです。学校の音楽担当の先生方の並びに宮崎先生の姿が目に止まりました。目が合うと、お互い目礼を交わしました。藤原先生が、この町での演奏会を引き受けたのは、宮崎先生に会うことも一つの理由だったのです。会食が終わると、藤原先生は宮崎先生と一緒に文化会館を後にしました。
「宮崎さん、私、夜行列車で東京に帰るの。それまでお宅にお邪魔していいかしら。」 藤原先生は、そう言いました。宮崎先生は、笑顔で答えました。
「どうぞ。一人暮らしですが。」 二人は桐の林の中の小道を歩き、アパートの脇の通りを歩いて行きました。
「あの赤い屋根の家が、私の住まいです。」 と宮崎先生は指差しました。藤原先生は、 「あら、留守なのに、家からピアノの音が聞こえてくるわ。」
と不思議そうな顔をして言いました。
「ええ、コンクールに出た高野君が弾いているの。私は特に教えていないの。とても熱心で、努力家です。家にピアノがないので、私の家のピアノを使っているの。」
宮崎先生は、そのように答えたのです。家に近くなると、ピアノ曲が藤原先生が模範演奏をした曲なのに二人は気付きました。
「大丈夫なの、留守中に中に入れるなんて。」 少し心配そうに、藤原先生は尋ねました。
「ええ、心配ないわ。家の鍵は、涼子が桐葉女子学園に行く日、手渡したものよ。ピアノ以外にも、詩などの本も読んでいるわ。」 と宮崎先生は答えました。
宮崎先生と藤原先生が家に入って広間に行くと、忠明はピアノを弾き続けておりました。藤原先生が模範演奏をした曲を、時々目を閉じ、音の強弱をはかるように弾いている様子でした。宮崎先生は忠明に声もかけず、藤原先生をテーブルの椅子に案内し、紅茶を湧かし、ケーキを添えて出しました。
曲が終わると藤原先生は拍手を送ったのです。宮崎先生は、手を叩くようなことはありませんでした。忠明は、振り返って藤原先生の姿があるのに気付いたのです。直ぐ椅子から立ち上がると、
「今日のコンクール、聴いていただき、ありがとうございました。」 と深く頭を下げて言いました。藤原先生は、
「ショパンのエチュード、とても素晴らしかったわ。今ほどは、私の弾いた曲を、おさらいしていたのね。とても熱心なのね。」
と言ったのです。忠明は、再度丁寧に頭を下げました。 「ただ、悪い癖が時々顔を出します。でも、長い時をかけても、直したいと思っています。」
と忠明は答えました。 「忠明君、こっちへいらっしゃい。一緒に紅茶を飲みましょう。」
宮崎先生の手招きで、忠明はテーブルの椅子に腰を下ろしました。藤原先生は、 「悪い癖と言ってましたね。どんなことなの。」
と尋ねると、忠明は俯きました。 「机を叩く、鍵盤ではなく、机を叩く癖なのです。」
藤原先生は不思議そうに聞いていましたが、言いにくそうな忠明の様子を見て、それ以上聞かなかったのです。忠明は、コーヒーを飲み干すと、丁寧に礼をして帰って行きました。
忠明が帰った後に宮崎先生は、忠明の家が貧しく、板や厚紙で鍵盤に似たものを作りあげ、声を出しながらピアノの練習をしていたことを話しました。
「そう、そうだったの。ピアノ演奏では、そうとは聞こえなかったわ。本当にピアノが好きなんだね。」 藤原先生は、忠明の将来について尋ねました。
「本人は、ピアノを止める気はないようです。大学に行けなくても、働きながら続けるようです。悲しいことと言えば、悲しいことなんです。」
宮崎先生は、一息ついて更に言いました。
「実は、娘の涼子は、高野君に救われたのです。涼子が中学三年生の梅雨の頃、ピアノの練習に疲れたのでしょう。庭の崖から飛び降りようとしたのです。それを高野君は、崖渕に咲いている谷卯木の花がほしいのだと言って、高野君が取ってあげようと言って止めたそうです。取った花を押しつけるように涼子に手渡して、ピアノを弾いてほしいと頼んだそうです。曲は、ショパンの「幻想即興曲」、それを聴きたいと言ったとのことです。涼子が弾き終わると嬉しそうに拍手をして、高野君はピアノを触らせてほしいと言ったのです。高野君は、ピアノを弾き始めたのですが、音が割れんばかりの荒々しい曲になったそうです。ただ鍵盤は、正確に叩いていたとのことでした。」
「涼子は、もっと優しく弾かなければピアノがかわいそうです、そう注意したそうです。二度、三度と弾いているうちに曲らしくなったとのことでした。家にピアノがないのと尋ねたところ、板の鍵盤で練習していたとのことでした。涼子は、その話を聞いて涙が出てきたとのことでした。恵まれた中で、ピアノを弾ける自分が、我が儘、辛い、死んでしまおうと思ったことを深く悔いたそうです。」
「それから涼子は、庭に訪れる高野君にもピアノを弾く時間をとったのです。涼子は、夜でもピアノを弾くことができたからです。だから私は、高野君には、私の家で自由に振る舞ってもらっているのです。高野君は、とても強い男の子です。ただ将来、どうなるのか心配しているのです。」
藤原先生は、宮崎先生の話を黙って聞いて、目を薄らと潤ませていたのです。藤原先生は言いました。
「私が見たところ、高野君には高潔な性格を持っています。東京芸大に進学させなさい。苦しみながら音楽を愛し、その才能がある者を、私は見捨てはしないわ。」
そう熱く言いました。藤原先生の話を聞いて宮崎先生は、
「できることなら、それが最良のことだと思っています。ただ、家庭の事情で許されるかどうか心配しています。」 と心配そうに言いました。
「宮崎さん、高野君は大丈夫よ。自分の力で道を拓ける人よ。大きく成長していくのを見守りましょう。」
と言いました。その後は、涼子の近況などについて話を交わし、順調に成長しているのを喜び合いました。
藤原先生は、夜行列車に乗って東京へ向かいました。車窓から夜の景色を見ました。点々と家の明かりが過ぎていく中で、忠明のことを考えておりました。大学の入学試験のこと、入学後の住居のこと、生活のことなどを考えました。
「私が身元を引き受けよう。」 そう結論づけると、目を閉じて眠りに入ったのです。
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