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   「谷卯木の花」【その三】

                             佐 藤 悟 郎

 

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 涼子が東京に行ってしまうと、忠明は宮崎先生の家に行く勇気がなくなったのです。忠明は、涼子から預かった宮崎先生の家の鍵を、時々見つめていました。ピアノが弾きたいと思いましたが、ピアノの楽譜が満足になかったのです。また、宮崎先生の留守中に、その家に入ることはできないと思いました。休日であれば、宮崎先生も家にいるだろうと思いました。

 春も過ぎ、梅雨の頃の休日になったのです。忠明は家を出て、足は宮崎先生の家に向かっていました。忠明の耳にピアノの音が聞こえてきました。芭蕉布の伴奏曲だったのです。それが終わると早春賦が流れてきました。忠明は、物音がしないように気を付けて宮崎先生の家の庭に忍び入り、ベンチに腰を下ろしました。庭の外れの崖際には、谷卯木の花が咲いていました。その遠くに越後の山並みが空に浮かび雲が流れていたのです。

 庭に入ってピアノに向かっている宮崎先生の姿が見えました。唱歌の伴奏が終わったのでしょう、トロイメライ、それに続きヴェートベンのトルコ行進曲が聞こえました。忠明は目を閉じ、ピアノの音に合わせるように、両腕を前に広げてピアノの鍵盤に手を滑らせるように腕と指を動かしていました。すると曲の途中でピアノの音が止みました。忠明は、目を開けて広間のテラスの方を見ますと、宮崎先生が広間の戸を開けようとするのが見えました。忠明は、立ち上がって宮崎先生にお辞儀をしたのです。宮崎先生はテラスに出ると、笑顔を見せて言いました。
「忠明君、そんなところにいないで、中に入りなさい。ピアノを弾いてちょうだい。先生も聴きたいわ。」
そう言って手招きをしたのです。

 忠明は、テラスから広間に入り、嬉しそうにピアノの前に腰を下ろしました。ピアノの譜面台には、使い古した「トルコ行進曲」の譜面がありました。ピアノの上には、他にも多くの譜面が載っているのが見えました。忠明は、暫く譜面を見つめた後、鍵盤の上で指を走らせました。奏でるというより、叩くという風で音が割れることさえありました。一度弾き終わると、直ぐに二度目を弾き始めました。幾らか音も滑らかになったのです。三度、四度と弾き直し、それらしい曲となったのです。
「若いって素晴らしい。格段に上手くなっていくわ。」
宮崎先生は、忠明に言いました。ただ内心では、叩くような音を徹底的に矯正しなければならないと思ったのです。忠明が、家では鍵盤のない板を指で打ち、口で音を出して練習していた癖が出ているのだと思いました。それを矯正するには、ピアノを実際に多く触れての練習が必要だと思ったのです。
「忠明君、涼子から私の家の鍵を預かっているわよね。私がいない時でも良いのよ。家に入ってピアノの練習をしても良いのよ。」
宮崎先生は、忠明の練習の合間に言いました。忠明は、傍に立っている宮崎先生の顔を見上げました。
「先生、ありがとうございます。でも、僕は楽譜を少ししか持っていないのです。」
忠明は、そう言って鍵盤に目を落としたのです。宮崎先生は、明るく言いました。
「楽譜なら、いっぱいあるわよ。私が若い頃使った楽譜よ。古いけれど、いっぱい出して置くからね。足りなければ言ってね。どこかで都合してくるから。」
宮崎先生は、練習を再開した忠明の後ろ姿を見つめて思ったのです。
「この子は、涼子の命を救ってくれた。私は、忘れないわ。この子は音楽の才能がある。できるだけの援助をしなければならない。」
そう思うと、忠明の姿が尊く、眩しくさえ見えてくるのでした。

 その日から、忠明は毎日のように宮崎先生の家に通うようになったのです。忠明は、腕や指の動きがピアノに適していないことを知っていました。とにかくピアノを多く弾いて、鍵盤の感触を早く掴まなければならないと思っていました。
 そんな忠明でしたが、とにかく家が貧しかったのです。忠明の家族は、母と兄との三人暮らしでした。兄とは十歳も年が離れておりました。兄は貧しいながらも高校を卒業し、市の職員として働いておりました。兄は、学業に優れていたのですが、母子家庭の貧しい家で高校を卒業すると、直ぐ働くことになったのです。市の職員と言っても、まだ年も若く給料は幾らもなかったのです。母は和裁の仕立てをしており、収入も多くありませんでした。兄は職場での仕事が忙しく、夜遅くまで残業し、朝早く仕事に出かけていきました。それでも母は、食事だけは用意し、朝食は早く、夕食は遅い時間でした。忠明に対しては、母や兄も手が届かず、音楽に夢中になっている子くらいにしか思っておりませんでした。忠明が、そこそこ勉強に優れていることは知っておりましたが、野放し状態になっていたことは確かでした。

 宮崎先生は、忠明の家庭状況や学校の成績が優れていることを、担任の先生から聞いて知っておりました。忠明が、時々ピアノの練習に疲れると、広間にある書棚を見つめる姿に宮崎先生は気付きました。
「書棚の本、気に入ったのがあれば、読んでも良いのよ。私の夫が国語の先生でね、読書が好きだったのよ。家に持って行っても良いのよ。」
と言いました。前に立って
「私、詩が好きなんです。」
そう言って、リルケの詩集を取り出し
「これ、暫く借ります。いつ返せるか分かりませんが。」
宮崎先生は、大きく頷きを見せました。普通の子であれば、読んでしまえば終わりだろうと思いましたが、忠明には深く読む力があると思いました。

 また、秋も深まる頃でした。宮崎先生は、学校での昼休み時間に、大切にしていた財布を家の広間のテーブルの上に置き忘れてきたのに気付いたのです。学校の授業が終われば、忠明がピアノ練習のため、家の広間に行くことになる。そうすれば財布が目につくはずと思いました。
「大丈夫かしら。お金が入っている。」
宮崎先生は心配したのです。それが忠明の過ちを惹き起こしやしないかと思ったのです。午後五時になると、宮崎先生は学校から家に急いで帰りました。家に近づくとピアノの音が聞こえてきました。家の中に入って広間に入ると、忠明は熱心にピアノを弾いていました。テーブルの上には、置いた時と同じ状態で財布がありました。ピアノを弾き続ける忠明の後ろで、宮崎先生は財布を取り上げ中身を調べましたが、別に変わったところはなかったのです。
「それにしても、この子はピアノ以外に、何も興味がないのかしら。」
と思うと、一層忠明を愛らしく思ったのです。夕食時になると、忠明は練習を切り上げて家に帰りました。

 忠明は、宮崎先生の家でピアノの練習を続けました。宮崎先生は、忠明から意見を求められなければ、ただ黙って聞いているだけでした。宮崎先生は、忠明が自分の足りないところを知る力を持っていることを知っていたのです。新しい曲に挑む姿、暗譜する早さ、その態度に宮崎先生は微笑むだけでした。

 そんな日が毎日続き、忠明はその町の高校に進みました。彼がピアノに熱中していることは、殆どといってよいほど、誰も知らなかったのです。家に帰ると学業にも励んでいたのです。涼子も高校二年生に進級することができました。夏も近くなった少し暑い日に、涼子は東京から帰って来ました。東京に出て、初めての帰省だったのです。家に近くなると、家の方からピアノの音が聞こえてきたのです。それも聞いたこともない激しい曲でした。
「忠明君が弾いているのだわ。この時間、母はいないはず。」
そう思いながら、涼子は家の前に立ちました。
「面倒な旋律を弾いているわ。それも繰り返して。」
涼子は、庭に入りテラスへと行きました。窓から覗くと、忠明がピアノを弾いているのが見えました。繰り返し同じ旋律を、回を増すごとに激しく弾いているのです。鍵盤を叩き付けるように弾いている姿でした。涼子は、練習が終わるのを椅子に腰掛けて待っていました。練習の途中で、ピアノの音が止んだのです。忠明は、涼子の姿に気づきました。涼子が、ピアノの前まで行くと、ピアノの譜面台に手書きの譜面が置いてあるのに気付きました。
「練習のための譜面です。古い曲の難しい箇所を抜き出し、練習のためにアレンジしたものです。」
そのアレンジ曲は、あたかも独立した曲に聞こえたのです。

 間もなく宮崎先生が帰ってきました。三人でテーブルを囲んで、涼子が買ってきたお土産のケーキを、紅茶を飲みながら食べていました。宮崎先生は、涼子に尋ねたのです。
「どう、練習はうまくいっているの。体の調子、悪いところないの。」
涼子は、笑顔を見せ、頷きながら答えました。
「体は大丈夫よ。練習は、辛いこともあるけど楽しくやっている。藤原先生の薦めもあって、いよいよ日本音楽コンクールに出ることになったわ。」
そう言っている涼子は、明るく希望に溢れていると忠明は思いました。

 涼子が帰省している間も、忠明は毎日のように宮崎先生の家に行きました。日本音楽コンクールという目標を持った涼子は、家でのピアノの練習を欠かしませんでした。忠明は、テーブルの椅子に腰を下ろし、目を閉じて聴いておりました。軽やかに音が流れてくる。強弱も快く耳に入ってくる。格段に技術が上達しているのを忠明は感じたのです。

 涼子は三年生になると、日本音楽コンクールに出場し、入賞を果たしたのです。一位ではなかったのですが、入賞者は全て僅差だったとのことでした。二日ほど経って校舎の前庭で、涼子は藤原先生に呼び止められました。
「宮崎さん、入賞おめでとう。もっと勉強するためにドイツへ行くことを考えてみない。良い先生を紹介するわ。」
藤原先生は涼子に言ったのです。藤原先生が留学を勧めることは滅多にないことでした。
「是非、私も行きたいと思っております。よろしくお願いします。近いうちに母と相談してきます。」
涼子は、そう答えました。すると藤原先生は
「宮崎さんには、もっと勉強してもらいたい。私、期待しているのです。お母さんとも、是非お目にかかってお話をしたいと思っています。」
と言うのでした。藤原先生が忙しいことを知っておりました。
「先生、いつ頃であれば、ご都合がつきますか。」
涼子が尋ねると、
「土曜日の午前中であれば、必ずこの学園におります。」
と答えたのです。涼子は、話は早い方が良いと思ったのです。
「先生、来週の土曜日、母を連れてきます。」
涼子が言うと、藤原先生は頷きました。
「でも、お母さんの都合が悪かったら、教えてくださいね。」
そう藤原先生は約束をして、校門の方へと歩いて行きました。


 

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