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   「谷卯木の花」【その

                             佐 藤 悟 郎

 

【その一】 【その二】 【その三】 【その四】 【その五】 【その六】 【その七】  

 


 ある春の暖かい日、藤原先生は言いました。
「高野君、宮崎涼子さんのこと知っていますよね。最近何か、演奏会に物足りないと思っている。そう言って便りをくれたの。彼女の弱音を知ったのは初めてよ。何か、壁に突き当たったみたい。各地を演奏で回っているのに、どうしたのかしら。」
と心配そうに忠明に言ったのです。
「そうですか。それは心配ですね。」
忠明は、そう答えただけでした。忠明はアパートに帰ると、涼子の姿を思い浮かべました。ピアノの前に写る自分の姿を、沈んだ顔で見つめている姿でした。ピアノ演奏技術では劣るところはないはずだと思いました。その日から忠明は、ピアノソナタの作曲に取りかかりました。そして三楽章からなる「谷卯木」という曲を作曲したのです。その楽譜を藤原先生に見せ
「日本音楽コンクールの作曲部門に出したいのです。」
と言ったのです。藤原先生は、楽譜を暫く見ているうちに、顔色が変わったのです。
「素晴らしい曲ですわ。私に聴かせてちょうだい。」
そう言って、忠明に演奏を頼んだのです。何故か、藤原先生の目に熱いものが込み上げた様子でした。
「高野さん、私、もっと若い時に、貴方に出会いたかった。これが私の本当の気持ちよ。」
そう藤原先生は言いました。

 藤原先生は、知り合いの会社で直ぐに楽譜を浄書させ、日本音楽コンクールに出しました。上位にはなりませんでしたが入選を果たしたのです。
「上位に入らなくても良いのよ。楽譜が世に出ることになれば、それで良いのよ。曲の価値は、これから問われるのよ。」
藤原先生は、忠明にそう言ったのです。夜になって、藤原先生は忠明の曲想について思ったのです。
「谷卯木は、時期になるとピンクの花が誇らしげに咲くのです。日本固有の花なのです。」
と宮崎先生が言っていたのを思いだした。そして涼子が崖から飛び降りようとした時、谷卯木の花が欲しいのだと言って忠明が止めた話を思ったのです。
「谷卯木の曲は、涼子のために作曲したのではないか。涼子のことを心配していたのだわ。」
そう思うと藤原先生は、一筆を添えて谷卯木の楽譜をドイツのゲルハルト氏に送りました。

 堂本静子は、ピアノが好きでしたが医師としての道を選んだのです。時間があればマンションの部屋でピアノを弾いておりました。それまで得た技術的な力が落ちないように、基本的な練習を欠かしませんでした。
 静子は、ピアニストとして身を立てるほどの能力がないと思っておりましたが、いつもピアノの傍にいたいと思っていました。その度に忠明がピアノに向かう姿を思い、その姿を美しいと思っていました。
 静子は夢を抱いていました。音楽家とは生活が貧しいもの、身の回りもだらしないものだと思っていました。静子は、医師となれば忠明を養うだけの収入がある、身の回りの世話もできると思いました。そしてたまに忠明のピアノを聴くことが出来、心が満たされると思っていたのでした。
 音楽コンクールが終わって数日後のことでした。忠明は、作曲部門で入選した「谷卯木」のピアノソナタをお礼として静子の部屋で弾いたのです。そして楽譜を残して忠明は帰っていきました。静子は幾度となく「谷卯木」を弾き、その曲が自分とは違う人への曲だと感じたのです

 それから一か月ほど経ってのことです。ドイツで修行中の涼子の指導者、ゲルハルトが突然、あるピアノソナタの楽譜をピアノの前に広げました。
「この曲を弾いてみてください。日本の作曲家の曲です。私には、とても良い曲と思われるのですが。」
ゲルハルトは、そう付け加えました。涼子は、日本の作曲家の曲を高く評価していなかったのです。それでも弾き始めました。第一楽章は、ロンド形式の曲でした。弾いているうちに、何か遠い昔に聞いたことがある、ゆっくりとした調子のメロディでした。繰り返し出てくるメロディに心が揺さぶられ、止めどもなく目が潤んでくるのを感じたのです。第二楽章は、荒々しい旋律でした。鍵盤を叩くように要求しているのです。第三楽章に入ると、暗い雲が払われ、豊かな山や川、木々、明るい心を思わせるような清々しい旋律でした。一通り弾き終わると、涼子は唖然として楽譜を見つめました。
「どうですか。次の演奏会で、アンコールに使っては。」
そうゲルハルトは言ったのです。涼子は、第一楽章を二度繰り返して弾きました。二度目の途中で演奏を止めると、突然楽譜を閉じて表紙を見たのです。表紙には
 「谷卯木」 高野忠明作曲
と書かれていたのです。曲名と作曲者の名前を見て
「忠明、忠明、会いたい、忠明に会いたい。」
と涼子は呟きました。第一楽章のメロディは、忠明が良く口ずさんでいたメロディだったのです。再び涼子は曲を弾き始めました。心を込めて弾いていると、涙で目がかすんできました。狂ったように、涼子は幾度も弾き続けたのでした。

 それからというものは、涼子は忠明が作曲した「谷卯木」を弾くようになったのです。忠明や自分の姿を思い浮かべながら、感情を込めて弾くようになったのです。その演奏態度は、他の曲を演奏する時にも乗り移ったのです。
「曲は、作曲家の心は勿論、私としての叫びなんだわ。」
涼子は、そう深く思うようになったのです。指導に当たっていたゲルハルトは、
「涼子のピアノは変わった。心の籠もった素晴らしいピアノだ。」
と思いました。喩え、コンクールで入賞しなくても、聴衆を引きつけるピアニストに成長していると感じたのです。そしてレニングラードでのコンクールに出た涼子は、入賞を果たし、そのピアノ演奏は高く評価されたのでした。

 藤原先生は、自分の演奏会に赴くとき、いつも忠明の作曲した「谷卯木」の楽譜を携えていました。折に触れ、「谷卯木」の曲を紹介したうえ、演奏をしたのです。藤原先生は、宮崎先生にも楽譜を送りました。高校の白川先生は、音楽雑誌を見て「谷卯木」の楽譜を取り寄せました。生徒達に作曲した高野忠明が、高校の卒業生であることを紹介しました。生徒達は、好んで練習に取り入れたのです。地元の町の音楽教室でも「谷卯木」を教えるようになったのです。
 そのようにして忠明の作曲した「谷卯木」は、人々に愛され広まっていったのです。地方の音楽コンクールでも、「谷卯木」が演奏されるようになっていきました。

 涼子は、欧州での演奏会でアンコールがあると、必ずといって良いほど「谷卯木」を弾いたのです。その曲は、人から人へと伝えられていったのです。涼子は、活動の拠点を日本にしようと思いました。忠明と一緒であれば、日本で活動し、世界に向けて音楽を発信できるからだと思うのでした。


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