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      「英俊と紅蘭」 第四話

                          佐 藤 悟 郎

  ( 第一話 第二話 第三話 第四話 第五話 第六話 第七話 第八話 )


 高顕項と別れ、英俊等三人は、京丘に向かって街道を歩きました。街道を歩く人や、牛車等が目に付くようになりました。二日目の昼頃、街道の峠に差しかかりました。峠からは遠くに大きな川が流れ、南の方には川を挟むように、夥しい建物が見えました。
「あれが都、京丘か。夥しいほどの建物が建っているな。」
英俊は、紅蘭と羅清の顔を覗き見て言いました。三人は、京丘を見るのが初めてでした。
「川の右の大きな建物、あれが宮殿ではないか。」
と羅清が言いました。城壁で囲まれた、広い土地の真ん中辺りに宮殿らしい建物が見えました。よく見ると、多くの建物は、外壁の中に立っておりました。
「大きな川が流れている。橋が架かっている。城壁は、宮殿ばかりでなく、都全体を囲んでいる。」
英俊は、紅蘭と羅清に指さして、外周の城壁だと言いました。川を越えた都から左方に離れた、山の裾野に大きな寺院が見えました。その寺院は、三方が濠となっており北は険しい山となっておりました。三人は、京丘に向かって歩き始めました。

 英俊等三人は、街道を歩いて西門を抜けて、京丘の都に入りました。街道両側は、人の背丈ほどの石垣を隔てて、樹木に囲まれた落ち着いた屋敷が続いていました。ただ屋敷に通ずる門は見えませんでした。右は高台となっていて、宮殿が樹木の上に見え隠れしていました。暫く行くと、街道は大きな街道と交わっていたのです。右を見ると大きな城門と宮殿が見えました。左には少し遠くに大きな橋が見えたのです。街道沿いは、左右それぞれ石垣で区分けされ、所々に小路が規則正しく交叉していました。荷を担いで歩く者、牛車や馬に揺られていく者、多くの往来が見られました。
 英俊等は、最初宮殿に向かって歩きました。門近くまで歩いて引き返し、川に向かって歩きました。宮殿から延びる街道から左右に延びる小路には、人で混雑する市場が多く見られたのです。三人は、橋に近い小路から宮殿に近い小路を、順次歩きました。色々な生きた動物を売っていました。動物の皮や肉、色々な素材で織られた布、皿や香炉などの陶器、米や粟などの穀物、野菜、木の実など、種類も量も豊富に商いがされていました。
 英俊等は、全ての小路を歩き、ある程度様子を知りました。昼時になり、肉を焼いて売っている店へ行ったのです。それぞれに好きな肉を買い、店先にある台に腰を下ろし、食べていました。そんなところに三人連れの酔っ払いが、英俊等の脇を通り、店の前に立ちました。いきなり酔っぱらいの一人が、肉を焼いている店の者の胸ぐらを掴み、
「おい、俺達を知ってるだろうな。肉を食わせろ。」
と、睨みをきかせて目を見つめたのです。
「はい知っております。周親方の手の人でしょう。」
店の者が、そう答えると、胸倉から手を放したのです。焼き上げた肉を三人に渡すと、三人は立ったまま、直ぐ肉に食らいつきました。店の者が代金を要求すると、酔っぱらいの一人が、店の者を殴りつけたのです。なおも店の者が、代金を要求すると、今度は足蹴りをして店の者を倒してしまったのです。それを見ていた、羅清が立ち上がると、店の者を蹴り倒した男の足を払って、その場に転がしたのです。
「代金を払ったらどうなんだ。」
倒れた男は、立ち上がると羅清目がけて剣を抜こうとしたが、羅清はその手を蹴り上げ、直ぐに脇腹に膝打ちを食らわせました。倒れた男は、腹を抱えて転がり回りました。
 酔っ払いの他の二人は、剣を抜き羅清と向かい合いました。二人が同時に羅清に剣を振り下ろすと、その瞬間羅清は一人には手拳で顔を突き、もう一人には膝蹴りを加えました。暫く、酔っ払いの三人連れは、地面に転がっていたのですが、ようやく立ち上がりました。通りかかった仲間らしい三人連れが、酔っぱらい三人連れと話し合っていました。そして六人で羅清を取り巻いたのです。
「俺達は、宮殿から市場の取締りを任されている、周親方の手の者だ。お前は、いきなり三人に傷付けたと言うことだ。」
と通りかかった仲間の一人が言いました。
 その時、四十にも近い男が、取り巻いている男達の間を割って、羅清の前に立つと、頭を下げました。
「私は、この者達の親方、周訊石です。事の成り行きは、一部始終見ていた。悪いのはこの酔っている三人です。」
周親方は、懐から金を取り出すと、肉を焼いている店の者に渡しながら、
「悪いことをした。この三人を処分する。勘弁してくれ。」
と言った。そして酔っ払いの三人に向かって、
「お前達三人は、所払いだ。もう京丘に来るな。」
と言うと、他の三人に向かって、酔っ払いの三人を都の外壁の外へ連れて行くように指示をしたのです。

 周親方は、羅清等三人に話しかけようと、三人に目を投げたのです。羅清は、英俊を指さしました。周親方は頷くと英俊に向かって言いました。
「先程、この人の身のこなしを見ていて、武術の心得のある人だと思いました。」
周親分は、羅清の顔に目を投げて言ったのです。
「市場の取締りの手が欲しいのです。三人一組として、市場の巡回をしております。丁度三人、是非、私の手の者になっていただきたい。」
それを聞いて、英俊は少し考えました。とにかく何かをやって金を稼ぎ、食べていかなければならない、身を寄せるところもなく住まいも確保しなければならないと思っていました。
「親方、この三人が寝泊まりするところ、ありますか。」
英俊は、周親分に尋ねました。
「それは、勿論用意できる。」
英俊は、紅蘭と羅清をを見つめ、二人とも頷いているのを見て、英俊は周親方に言いました。
「分かりました。よろしくお願いします。今日、京丘に着いたばかりで、どうすれば良いか困っていたのです。」
周親分は、大変喜びました。武術に優れ、もの柔らかな態度の三人に大きな期待を寄せました。住まいに向かう道すがら、周親方は、英俊に語りかけました。
「何か、得意なこと、ありますか。」
三人は顔を見合わせ、武術の真似事をして見せたのです。
「そうであれば、いずれ武術の曲芸をされるのが良いでしょう。市場の取締りも兼ねることができます。」
親方は、更に気に入ったらしく、笑みを浮かべて棲み家に連れて行きました。そこで多くの浮浪人らしき者と顔を合わせたのです。
「皆、困っている連中だ。でも、その内に運も向いてくるだろう。」
親方は、そう言いながら、三人に食料を与えました。
「曲芸をやることになったら、稼ぎの一割だけは頂こう。皆の食べ物の足しにするから。」
そう言いながら、大部屋から中庭に出て、二階の部屋に連れて行きました。
「部屋がない。他の部屋が空くまで、三人、男と女か、仕方がないが、我慢してくれ。」
そう言って親方は、三人を部屋に入れると、戸を閉めてどこかへ行きました。部屋は、二間あり、それぞれの部屋に寝るところがありました。とにかく、三人は疲れていたのです。三人は、直ぐに深い眠りに陥りました。

 英俊等三人は、翌日から市場を巡り歩きました。揉め事があれば、上手に鎮めました。乱暴を働く者には、力でねじ伏せました。市場では、英俊等の働きが評判になりました。市場は、争いごとも少なくなり、商いをする人ばかりでなく、訪れる人も安心して買い物をするようになったのです。天候が悪くなっても、英俊等は姿を見せました。
 冬の厳しい中でも、三人は商人に声をかけ、困りごとがないのかを尋ねました。その働きに、周親方は感謝と尊敬を持つようになりました。
「あの三人は、龍慧寺で修行を積んだ人だ。」
そんな噂が流れました。本当かどうか尋ねられると、笑って答えませんでした。
「龍慧寺と言えば、優れた知識と武術を持っている人だ。」
市場の人々は、英俊等三人に尊敬をするようになりました。一年の月日が流れ、英俊等三人は、街道に近いところに武芸の曲芸を見せるようになりました。その興業の位置は、位置の中央でした。何かあれば、直ぐに駆けつけることができるところでした。

 三人は、剣や槍を使った曲芸でした。。物珍しそうに見る人もあり、投げ銭で三人が暮らすには十分でした。秋も近くなった頃でした。周親方は、三人に言いました。
「宮殿に行って聞いたことだが、皇帝の体調が思わしくない。長いこと持たないとのことだ。」
周親方は、市場が混乱しないかと心配をしていました。それから十日ほどして皇帝が逝去したとの触れが回ったのです。市場から見る宮殿には、何事もないように見えました。葬儀も粛々と行われ、都京丘は静まり返えりました。英俊等は、曲芸を止めて、足繁く市場を巡り歩きました。更に十日ほど過ぎると、市場は賑やかさを取り戻し、英俊等も曲芸を始めました。

 曲芸を初めて五日目のことでした。通りで曲芸をしていると、若い男が飛び込んできて、幕の後ろに隠れました。間もなくすると、宮廷の五人の兵らしき者達が走って通り過ぎて行ったのです。三人は、不審に思いながらも、何食わぬ顔して兵を見送りました。一息ついて、英俊は、隠れている男に尋ねると
「追われている。捕まれば殺される。お願いだ、助けてくれ。」
と男は答えたのです。紅蘭と羅清を残し、英俊は男を連れて棲み家へ行きました。紅蘭と羅清は、曲芸の荷物を纏め、遅れて棲み家へ戻りました。

 追われていた男に、お茶を勧め、どうして追われているのか尋ねました。
「私は、劉江夏と言う陵の国の皇子です。父が亡くなると、弟が皇帝になるために反乱を起こし、宮廷を占領しました。邪魔になる母や、他の兄弟を殺したのです。私は、隙を見て宮廷から逃げてきました。」
英俊と紅蘭、そして羅清は、驚きました。追われている者を匿うと、身に危険が迫ると思ったからです。
「皇帝が亡くなれば、皇子様が後を継ぐのでしょう。」
紅蘭は、皇子に言ったのです。皇子は、紅蘭の顔を少し見ると、力なく俯きました。
「弟は、私の母と違う人から生まれました。弟は、弟の母方の将軍と手を握って反乱を起こしたのです。弟は、どうしても私を見つけ出して、殺すでしょう。そうしなければ、正式に皇帝なることができないのです。」
英俊は、可哀想に思ったが、どのようにすれば良いのか皆目見当もつかなかったのです。
「何か、良い手立てはないのですか。」
皇子は、顔を上げて言いました。
「私の母は、惣の太守の妹です。惣の助けを受ければ、どうにかなると思います。ただ、皇帝の兵に対抗できるか分かりません。大きな戦いとなり、町の人々や村の人々が困るでしょう。」
そう言った後皇子は、暫く考えました。
「暫くの間、どこか山の中に隠れようと思います。様子を見つめ、どうするのが良いのか決めたいと思います。」
英俊は別に反対しませんでした。だだ、山の中では、猛獣や食べるものに不自由すると思いました。
「ここに居た方が良いと思う。山の中は、皇子が思っているより、危険なところだ。ここも危険であるかも知れないが、壁に隠し部屋がある。食べるものもある。」
英俊は、この棲み家でも、山でも、危険は同じ位あると思ったのです。それよりも都の情報を、早く知ることができるのは、都にいるのが良いと思いました。皇子は、英俊の意見に従い、一緒にいることに決めました。眉を剃り落とし、顔に色を塗って黒くし、髪の毛を短くしました。親方に、仲間が一人増えたと伝え、許しを得ました。親方は、四人であれば、部屋も手狭だろうと言うことで、一階の少し広い部屋に移ることを進めました。

 その部屋に移ると、三人は手分けをして部屋の中を調べました。壁には隠し部屋があり、床板をはいでみると、地下に穴があって、階段も備わっていました。階段を下りると、板で仕切られ行き止まりとなっていました。脇の板戸を引いてみると、人一人が通れるほどの隙間があり、そこからは人が通れる比較的広い通路になっていたのです。空気が流れ、爽やかな風となっており、どこかで地上と繋がっている様子でした。

 四人で通りに出て、曲芸を始めました。皇子は、三人の曲芸のための道具を手渡す役や、標的となる物を持つ役目をしました。皇子の弟烈稜の母方の将軍の兵の姿が見えましたが、日を追う毎に異なる服装の兵の姿も目に付くようになったのです。
「あの服装の兵は、遜将軍の兵だ。烈稜に従ったのか。残念だ。信頼していたのに。」
その兵の後方から、遜将軍が馬に揺られながら、四人の曲芸に目を遣りながら通り過ぎていきました。

 それから間もなくの日の夜、四人の商人風の男が彼らのところに訪れたのです。その内の一人は、遜将軍でした。
「江夏様、ご無事で何よりでした。弟烈稜君は、好き放題な振る舞いをしており、曹将軍も顔をしかめています。宮中の大勢の者が殺されています。皆が、疑心暗鬼となっております。」
遜将軍は、そう言った上で、皇子に頭を下げて言葉を継ぎました。
「江夏様、宮廷に戻ってください。身辺は、この遜が守ります。」
皇子は、英俊と紅蘭に向かい、意見を聞きました。英俊は、遜将軍に尋ねました。
「敵がどのくらい、味方がどのくらいになるのか。勝算はあるのか、意見を伺いたい。」
遜将軍は、正直に答えたのです。
「都に限って言えば、現在の兵の数から言って、敵となる者が多い。時が経てば、状況は更に悪くなる。宮廷に戻られるのは、早い方が良いと思われます。」
英俊は、陵の国がどのようになっているのか、よく知らなかった。
「都の他に、どのような勢力があるのですか。皇子は、母は惣の人である言われた。簡単で良いので、教えてくれませんか。」
と、言葉柔らかに遜将軍に尋ねました。遜将軍は、手短に話してくれたのです。

 遜将軍の話によれば、陵の国は、代々劉一族が皇帝として治めている。陵の国は、丘、惣、略、哀の四つの領に分けられ、皇帝は丘の領地を直接治め、京丘を都と定めている。惣の領地は、皇帝の親族の揚家、略は皇帝の血の遠くなった親族の操家、哀は皇帝の重臣の班家がそれぞれ治めている。
 兵は、皇帝が直接掌握し、皇帝軍は京丘を中心としたところに集められている。皇帝軍は、三軍があって、それぞれ将軍が指揮権を有している。各領地には、各太守が将軍としての兵が置かれているが、皇帝の裁可がなければ勝手に動かすことはできないことになっている。
 この度の反乱では、曹将軍が烈稜君と手を結んでいる。もう一人の将軍、何将軍は軍を掌握しているけれど、動かずただ見ているだけである。時が経てば、北の潘族が攻め込んでくる虞があり、また烈稜君に加担する者が増え、形勢が悪くなる。正当性は、江夏皇子にあるのは確かである。

 英俊は、遜将軍の話を聞き、ことは迅速に進めなければと思いました。
「皇子様、遜将軍の話の通り、事を早く進めましょう。他国の者が、行動を起こす前に、鎮めなければ大変なことになります。」
英俊は、皇子に決断を迫ったのです。
「英俊、羅清も、紅蘭も、一緒に来てくれるか。」
英俊ら三人は、顔を見合わせ、頷き合いました。
「母も失い、寂しかった。三人が、近くに居れば心強い。」
皇子は、そう言って微笑みました。そこで、宮廷に戻る段取りを話し合ったのです。

 遜将軍は、兵を整え宮廷の門を潜りました。軍の中程に、皇子劉江夏が兵に守られるように馬に跨がり進んでいました。皇子の前に羅清、右隣に英俊、左隣に紅蘭がおり、いずれも鎧に身を纏っていました。皇子の姿を見ると、宮廷内の兵達に響めきが起きました。
「江夏様だ。帰ってきてくれた。」
整然とした遜将軍の軍隊は、見るからに精強に見えたのです。誰も仕掛けてくる者はいませんでした。更に遜将軍の軍隊は、宮殿の正殿前の広場まで進みました。そこには、曹将軍の兵がおり、玉座には、皇子の弟烈稜が腰掛け、曹将軍と烈稜の母がいました。
 曹将軍は、遜将軍に向かって言ったのです。
「何事だ。物々しい格好で、前以て知らせもなく、皇帝に対して無礼であろう。」
遜将軍は、はっきりとした声で正殿に向かって言ったのです。
「皇帝とは、一体誰のことであるのか。よもや、悪の限りを尽くしている烈稜殿のことではあるまいな。」
遜将軍の兵は、広場の大方を固めました。正殿前広場の横手から、江夏皇子が英俊と羅清、紅蘭を伴って、姿を現しました。四人は、遜将軍の前に出て、向きを変えて正殿の階段を上り、弟烈稜と向かい合いました。
「烈稜、お前は私の母ばかりでなく、多くの人を殺した。首を刎ね、あるいは毒を飲ませた。そんな者には、皇帝の資格もなければ、人として生きる資格もない。お前を許す訳にはいかない。」
そう言うと、江夏皇子は、剣を抜きました。曹将軍が手で合図をすると、広場の兵達と遜将軍の兵との戦いが始まったのです。正殿内では、周りの部屋に詰めていた曹将軍の兵三十人ほどが、四人を取り囲みました。

 遜将軍は、正殿に上がり兵達と戦いました。英俊と羅清、紅蘭は、凄まじい剣裁きで、取り囲んだ兵を次々と斬り伏せたのです。弟烈稜の間近に迫りましたが、江夏皇子は躊躇い剣を向けることができませんでした。次々と、曹将軍の兵が正殿の中に入ってきて、四人は兵に囲まれました。
「紅蘭、皇子を頼む。このままでは収拾がつかなくなる。俺は玉座にいる烈稜とその母を斬る。」
紅蘭が頷くと、英俊は玉座に向かって進みました。烈稜は、玉座に執着して離れませんでした。英俊は、前に立ちはだかる兵を切り、玉座にいる烈稜の胸に剣を刺しました。剣を抜くと、烈稜は玉座の下に崩れ落ちたのです。悲鳴を上げて、烈稜に覆い被さるその母に、剣を下ろそうとしましたが、英俊にはできなかったのです。遜将軍は、烈稜が斃れて戦意を喪失した曹将軍を斬り殺しました。烈稜の母は、烈稜の上に覆い被さったまま、身動きをしませんでした。自ら胸に剣を刺したのでした。

 陵の国の異変に気付いた北の潘国は、兵を集め国境に迫っていました。北の国境には、遜将軍と何将軍が潘国の軍勢を迎え撃つために、都を出発しました。京丘では、都で争乱が起き、遠くの地から高将軍の兵が攻め上がってくる噂が流れました。英俊は、曹将軍の兵をまとめ、高将軍を討つべく兵を進めました。
 高将軍の本拠地に踏み込むと、その地は豊かに稔り、村人は明るく働いているのでした。遠くに砦は見えましたが、兵の集団は見当たりませんでした。英俊は、村人に聞きました。
「将軍様は、兵など集めておらぬ。兵は、私等と一緒に働いている。」
その言葉で、英俊と紅蘭は兵を羅清に任せ、砦に向かったのです。高顕項の館に着くと、高顕項が迎えました。
「英俊殿が兵を率いてきたことは、ここまで聞こえている。私は、都の争いなど関心がない。この地は私の生まれ故郷だ。この地の人々を守ることだけを考えている。英俊、この地を荒らすな。人々を困らすことはしないでくれ。私の身は、英俊、お前に任せる。」
高顕項は、そう言うと二人を連れて、館の裏へと案内しました。そこには多くの兵が集まり、軍備も整い、整然として待機していました。英俊の目には、精強な軍と映りました。英俊の軍との戦いとなれば、互角以上の兵力だとも思ったのです。
「皇帝の軍が攻め込んできたということで、今朝から備えを固めるつもりだった。ただ、英俊殿が率いる兵と知り、こちらから兵を進めないことにした。」
英俊は、高顕項の瞳を見ました。その瞳には、疚しさは少しも感じられなかったのです。
「分かった。これから貴方を、高将軍と呼ぶことにする。この地を治めるが良い。皇帝と争いをするまい。私から皇帝に言っておく。」
英俊は、更に言葉を続けました。
「潘国が、陵の国の混乱に乗じ、軍勢を進めている。私も都に帰ったら、直ぐに戦場へと向かうつもりだ。そこで高将軍にお願いがある。都は手薄となる。都へ赴き、江夏皇子、それに都京丘を守っていただきたい。このことも皇子に伝えておく。」
そう言うと、英俊と紅蘭は高将軍を残して、立ち去りました。

 英俊は、京丘に戻ると皇子劉江夏に、高顕項が争う意思がないことを報告しました。更に、英俊は潘国との戦場に赴くこと、その間は高顕項が都の守備につくことを話しました。英俊は、兵に一日休養を与えた後、潘国の軍勢との戦いを早く終結させなければならないと思い、兵を北の国堺に進めました。英俊の軍が国境の山を越えると、山の麓の平原を境にして、遜将軍と何将軍の軍勢と潘国の軍勢が対峙しておりました。平原には、多くの人馬が倒れているのが見えました。
 英俊は軍の中央、右翼に王羅清、左翼に紅蘭を配置しました。潘国軍の左翼を切り崩していくことを、英俊、羅清、紅蘭は打ち合わせておりました。左翼を崩せば、遜将軍と何将軍が、一気に潘国軍に対して優位に闘うことができると判断をしたのです。ただ、英俊の率いる軍は、曹将軍が率いていた兵で、完全に掌握はしていなかったのです。
 紅蘭が軍の左翼に移動して、英俊の指揮により山をゆっくり下りていきました。潘国軍から、矢が飛んでくるのが分かりました。矢がようやく届く寸前のところまで、兵を進めて止めました。それは丘の中腹だったのです。そこから英俊は、周りの兵に矢を射させました。矢は潘国軍に届き、潘国軍は少し後に引きました。紅蘭は、馬を使っている二十人程の兵を集め、若い武将の范項順を別動隊の指揮者とし、左に迂回して、潘国軍の右翼の前面の弓の兵を混乱させることを命じました。
 紅蘭の指示を受けた兵が持ち場に戻った後、一人のいかにも頑強な什長が、紅蘭の前に馬で進んできたのです。何か不満そうな顔をして、紅蘭に向かって言いました。
「俺は、什長の馬と言う者だ。もの申す。たかが女の癖に、偉そうに兵の指揮をしている。戦いを知らぬ者が、戦いに勝てるものか。俺は従わないからな。」
紅蘭は、その馬什長の言葉を聞いたのです。
「言うことは、それだけか。今は、敵と戦おうとしているとき。戦いに敗れれば、陵の国の存亡に関わる大切なとき。そなたは従わなくても良い。邪魔だけはするな。」
紅蘭は、什長に言うと手を左後ろに指さして掲げ、後方に行くように指示しました。什長は、せせら笑うように従卒を連れて隊の後方へと退きました。
 暫くすると、遜将軍と何将軍の軍から狼煙が上がるのが見えました。英俊は黄色の旗を振り、戦を仕掛ける合図を紅蘭と羅清に送ったのです。紅蘭は、赤い布を大きく振って、左翼に集結していた、軍馬の兵に合図を送りました。別動隊は、左に大きく迂回するように展開していきました。紅蘭は、軍の先頭に立ち、ゆっくりと丘を下り始めました。
 後方に下がった馬什長は、その内に紅蘭が後方に下がってくると思っていたのです。軍が丘を下がっても、紅蘭が後方にこない。馬什長は、軍の前方を見下ろすと、紅蘭が先頭に立って、軍を指揮している姿が見えました。
「不思議だ。紅蘭は、まさしく軍の指揮者だ。」
馬什長は、そう呟くと従卒を軍の前方へと進めました。馬什長は、以前から軍を指揮する者は、軍の先頭に立たなければならないと思っていたのです。軍を指揮する者が、軍の後方に立って戦いをする、それまでの戦い方に強い反発を抱いていたのです。
 紅蘭の軍の別動隊が、潘国軍の前面部隊を横から奇襲をかけました。潘国軍から矢が飛んでこなくなったのを見計らい紅蘭は、指揮する全軍に前進の合図をすると、真っ先に駆け出したのです。
 紅蘭を先頭に、兵は楔形になり、潘国軍の右翼に突っ込む形となったのです。馬什長も兵を率いて、紅蘭を追うように進撃をしていきました。馬什長が見た紅蘭は、凄まじいものでした。剣を縦横に振って、潘国軍の兵を薙ぎ倒して前進を続けていたのです。馬什長も、紅蘭と並ぶようにして潘国軍の兵を倒し、前へと進んでいきました。兵の集団を突き破ると、そこには潘国軍の将軍と思われる、軍車に乗っている者を、紅蘭は目にしました。紅蘭は、その者を取り巻く兵を蹴散らし、剣を素早く打ち下ろして、その者を倒しました。
 潘国軍の右翼は、指揮者を失ったためか、兵達は右往左往し、中央の方へと退いていきました。英俊、羅清の兵も潘国軍の左翼に迫っておりました。潘国軍の左翼と中央には、遜将軍と何将軍が勢いを増して迫っていたのです。潘国軍は総崩れとなり、少ない部隊を残して、後方に向きを変えて逃げるように退いていきました。残った部隊は、暫く応戦していたのですが、間もなく制圧されました。
 残った潘国軍の兵に対して、武器を捨てさせ潘国に帰ることを許しました。これは遜将軍の判断でした。遜将軍は、今、最も大切なこと、それは陵の国の安定だと思ったからでした。
 陵の軍はそこに止まり、斥候からの確認情報を得て、潘国軍が来ないことを確認した上で引き上げることにしました。


 

 「英俊と紅蘭」
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