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      「英俊と紅蘭」 第八話

                          佐 藤 悟 郎

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 三日が過ぎて羅清は兵を率いて、略の地に向かいました。英俊は、羅清を見送ると、一人で山に入りました。その山には、隠者が棲んでいるのですが、誰も会った人はいないと言われておりました。山を望めば、急峻で頂は雲に隠れていたのです。山から流れる川の岸は笹が多く茂り、川岸の道を辿って歩いていきました。半日程歩いて行くと、英俊は対岸の岩に見覚えがあるのに気付いたのです。
「紅蘭と歩き、一休みをした時に見た景色だ。」
英俊は、見ている景色には間違いないと思いましたが、この地は深山から遠く離れていると思いました。更に道を上っていくと、対岸に霧に霞んだ庵が見えました。英俊は、笛を取り出して、歌口を唇に当てると吹き始めたのです。紅蘭が時々吹いていた曲でした。曲の名を聞いても、紅蘭はただ笑うだけで教えてはくれなかったのです。それでも、一緒に吹いて曲を教えてくれました。
 英俊が笛を吹いていると、霧の中から老人の姿が現れました。紛れもなく、その老人は、少年のころ紅蘭と共に宿の世話をいただいた老人だったのです。それにしても、老人の姿風体は、以前と少しも変わっていないように見えました。
「英俊、久し振りじゃのう。先ずは、私の庵に来られよ。」
英俊は、老人に導かれて庵まで行き、庵の中に入りました。案内された部屋は、紅蘭が笛を吹いた部屋だったのです。
「先程吹いていた曲、一緒にいた女人から習ったのか。」
老人に尋ねられて、英俊は頷きました。老人は、黙って英俊の顔を覗き込んでいました。そして、ゆっくり俯いて何かを探っている様子だったのです。再び、老人は顔を上げると、目を見開いて英俊に尋ね始めました。
「一緒にいた女人は、確か紅蘭と言ったな。今も一緒にいるのか。」
英俊は、老人のその問に戸惑いました。正直に言ったところで、老人に一体どれだけ理解ができるのかと思ったのです。英俊は、無言で頷きました。
「英俊、私を疑っているな。私は、先程見つめて、分かっている。英俊は、哀の地の太守となっている。紅蘭は、皇帝の軍を率いて、英俊と戦おうとしている。」
英俊は、老人が平然と話すのを見て、驚きを隠しませんでした。
「ご老人、何故、そのようなことを知っておられる。」
老人は、少し微笑みを浮かべました。
「私は、人の心を読むことができる。だから英俊、お前が事の子細を話さなくとも良い。ただ、言っておきたいことがある。それだけを胸に刻んで、これから行動するが良い。英俊の未来については、確かなことを見ることができないからだ。」
老人は、そう前置きを言った後、驚くべき事を話し始めました。
「お前は、皇帝と争っても良いが、紅蘭と戦いをしてはならない。紅蘭と戦えば、お前が敗れ、命を落とすことが明白だからだ。」
「以前、お前と紅蘭が、この庵に宿を取った。翌日、私が笛をそれぞれに与えた。紅蘭がその時私に笛を吹いてくれた。その曲は、先程お前が吹いていた曲だ。その曲は、天の曲で「白蓮の曲」という曲なのだ。」
「私が一度天の国へ行った時、白蓮が咲いている池の彼方から聞こえてきた曲なのだ。天の人に尋ねると、笛を吹いているのは、天の国の「やない姫」で、奏でている曲は「白蓮の曲」と言うことを聞いた。」
「ここまで言えば分かるだろう。紅蘭は天の国の姫、やない姫、その人に間違いないだろう。天の国の人は、地の国の人の運命を司っている。英俊、お前が紅蘭と戦えば、お前は敗れ命を失うことになるだろう。」
英俊は、老人に向かって、頷きながら言いました。
「紅蘭は、天の人なのですか。不思議な人だと思っていました。」
英俊は、紅蘭の正体を知ると、何か心豊かになるのを感じたのです。

 老人の庵を出て、夜遅く山から下った英俊は、古くからの地主の家を訪れ、厚いもてなしを受けました。そして壁に飾ってある絵に目を止めました。昔、英俊が紅蘭の姿を描いたもので、盗賊に奪われたものだったのです。
「何とも言えぬ、豊かな女性です。」
地主は言いました。意見を求められたと思い英俊は、
「おそらく、天の国の人でしょう。」
と答えました。懐かしそうに見つめる英俊の姿に、地主は驚いて聞きました。
「この絵のこと、ご存知なのですか。」
そう尋ねる地主に、英俊は答えたのです。
「私がまだ少年の頃、都に憧れている、やはり少年がいた。そして美しい少女もいた。その少年が、一緒にいた少女を描いていた。その少女の姿であろう。その少女が、天の国の人であることは、最近になって知った。」
英俊は、それ以上のことを語らなかったのです。英俊が館に戻ったのは、夜遅くになっていました。そして紅蘭が、手の届かない女人であることを思うと、寂しさが込み上げました。

 羅清が哀の地を出発して二日目に、略の都に着きました。思いの外、略の地は静まりかえっていました。出迎えたのは、略の兵の韓相順という、以前江夏皇帝の使者として略に訪れたときに会った、略軍の副将でした。韓相順は、以前と変わりなく礼儀正しく、精悍な若者だったのです。韓相順は、やはり以前と同じく白髪を後ろにまとめた、誠実そうな老人白亮を従えていました。
「略の政は、大方、そこにおいでの胡塞常殿が行っていた。略の太守、操岳陵様は政を疎かにしたのは、疑いのないのです。」
韓相順は、言葉を続けました。
「太守を滅ぼしたのは、胡塞常殿の考えからでしょう。胡塞常殿は、惣の太守の側近だったことが判明しております。おそらくは、惣の太守の差し金ではないかと思っております。」
羅清は、略の副将韓相順の話を聞いて、略の反乱が惣の太守の謀略から出たものだと確信しました。羅清は、哀の地、英俊が危ないと感じました。略は、当面、韓相順と白亮に任せても良いと思い、反乱首謀者の胡塞常を引き渡しました。羅清は、兵と共に哀の地へと引き返していきました。そして哀の地に入ったのは、夜となりました。

 揚翔坡は、休戦の約束を破り、軍を動かしたのです。羅清が略に向けて出発して四日目の未だ暗い未明でした。その軍勢は惣の軍勢の六千のうちの約一千でした。揚翔坡は、館を出る前に揚剣庸を正殿に呼び出しました。そこには甲冑に身を固めた揚翔坡と、二十人余りの将兵と兵がいたのです。揚剣庸は、揚剣庸が哀に出撃することを察し、揚翔坡を諫めました。揚翔坡は言ったのです。
「皇帝は、このままでは私に刃を向けるだろう。残された道は、皇帝が言ったとおり、哀の太守を倒すしかないのだ。兵は一千もあれば十分だ。お前に邪魔をされては困る。暫く離れの倉庫に入ってもらう。」
揚翔坡は、そう言った後にそこにいた将兵に合図をして、揚剣庸を縛り上げて離れの倉庫に閉じ込めたのです。揚翔坡は、約一千の兵を遜将軍や紅蘭将軍に見つからないように、静かにに移動させ軍港に集結させたのです。

 夜明け近くになって紅蘭と遜将軍は、惣の兵が動いていることを知りました。取りあえずの兵を率いて、山手から晴河の辺まで進めると、向こうの哀の地の岸に惣の兵の旗が靡いているのが見えました。近くを探したのですが、船が見当たりませんでした。
「英俊が危ない。」
紅蘭は、軍港の外に隠してある船を見付けました。間もなく揚剣庸も手勢を率いて姿を見せました。
「父が、哀の太守を襲うために出撃をしたのです。皇帝が言ったのです。哀の太守を殺せと。私は諫めましたが、縛られて倉庫に閉じ込められていました。」
紅蘭と遜将軍は、揚剣庸の言葉を聞き、頷きを見せました。
 紅蘭と遜将軍、それに揚剣庸は、できるだけの手勢を率いて哀の地に向かって船を進めました。

 紅蘭と遜将軍、揚剣庸が哀の地に上陸すると、揚翔坡の軍は、哀の太守の館の側の丘に向かって上っていて、先頭の方で争いが続いていました。紅蘭と遜将軍は、凄まじい勢いで丘を上り始めました。兵は遅れて、それでも必死で上っていきました。紅蘭と遜将軍は、丘の頂近くまでいきました。英俊が惣の兵が放つ矢に当たって倒れるのが見えました。紅蘭は、悲しい顔を遜将軍に見せました。
「地の理が解けた。英俊が死んだ。」
そう叫ぶと、紅蘭の姿が輝きだしたかと思うと、凄まじい早さで空を駆け、英俊の倒れたところへ行ったのです。輝く紅蘭は、黄金の剣を抜き払い、近くにいた将兵を切り倒しました。そして紅蘭の両側に、険しい戦士の姿が現れたのです。揚翔坡の軍の兵が、矢を放つと、矢は紅蘭の近くで向きを変え、放った者に鋭く突き刺さりました。揚翔坡は、
「紅蘭は天の姫だったのか。軍神を従えている。俺も、皇帝も、もう遅い。」
そう呟いて、前に出て紅蘭に斬りかかりました。紅蘭は、揚翔坡を真上から切り下ろし、揚翔坡は二つに分かれて倒れたのです。
 更に、紅蘭は太刀を地に打ち付けると、近くの大地が裂け、真っ赤な劫火が高く吹き上がり、炎の中から大勢の物の怪が現れ、惣の太守の屍や、近くの惣の兵を裂け目に引きずり込み、間もなく裂け目は閉じたのです。紅蘭は、黄金の光に包まれ、英俊を抱いて天に向かって消えて行きました。

 遜将軍は勿論、皇帝軍の兵、惣の兵は、紅蘭が天の人であることを見たのです。そして英俊を抱えて、昇天するのを見たのです。
「我々は、天に弓を引いた。恐ろしいことだ。」
口々に言ったのです。そして皇帝劉江夏が、天の意志に背いたことを、はっきりと知ったのです。

 その頃、都京丘にいた江夏皇帝と張学参は、西南の彼方哀の地あたりで、赤い炎が立っているのを見て不思議に思いました。そしてその夜、遜将軍からの書状が届いたのです。書状は、次のことが書かれておりました。
「惣の太守は、紅蘭の手にかかり、斬り殺された。紅蘭は天の人で、地獄を開き、惣の太守を始め、惣の兵は、悉く地獄に落とされた。英俊は、惣の兵の矢に射貫かれて斃れたが、紅蘭が天へと連れて行った。言えることは、天に弓を引いた劉家が、天から授かった皇帝ではないということである。この遜は、英俊に仇を為す、劉家を滅ぼすことに決めた。それが天の怒りを静める一助となると思っている。この地に留まっている全ての人の心である。」
遜将軍からの書面を見て、皇帝劉江夏は愕然としたのです。
「紅蘭殿は、天の姫君だったのか。さすれば、営の董韻も天の人だったのか。」
皇帝と張学参は、やがては襲ってくるだろう終末に怯えました。王冠の箱を取り出して、中を覗くと王冠は消えてなくなっていたのです。江夏皇帝と張学参に、如何なることが起きるのか、恐怖だけが襲ってきました。

 江夏皇帝は、皇帝の地位に就いたのは、遜将軍は勿論、英俊、紅蘭、羅清の力があったからだと思いました。年を経るに従い、ただ親族と言うだけで惣と略の太守の意見を聞いたことを悔いました。弟烈稜の反乱の時、惣と略の太守はただ傍観するだけだったのです。遜将軍の意見を求めず、英俊の追討を決断したのは、大きな間違いだったと思いました。劉家の皇帝としての正当性も、否定されたのです。取るべき道は、攻め上ってくる遜将軍の前に跪き、身を委ねることしかないと思いました。

 張学参は、皇帝の執事として考えが足りないことを認めました。皇帝の地位は血縁によってだけ保たれるのではない。天の教えにあるように、民の幸せを願うことによって維持されるのだと。時は既に遅く、皇帝と己は滅びる運命を背負った者であると思った。
「ただ、妃の桂英は救わなければ。」
そう思い、江夏皇帝に話しを向けた。
「桂英様には、運命を共にするには忍びない。」
張学参は、そう言って遼南山のところで暮らすことを述べた。江夏皇帝は、桂英との間に王子を儲けることはできなかった。それは幸いと思い、張学参の意見を承知したのでした。

 略の地から引き返した羅清は、館を背に拳を握りしめた。揚剣庸は、揚翔坡には従わなかったのです。揚剣庸は、残った惣の兵を率いて、晴河の辺で羅清と対峙しました。揚剣庸は、自ら隊の前方に出ていき、全軍を座らせました。そして羅清に戦う意志がないことを告げたのです。各軍は、静かにその場で野営をしたのです。翌日になって、略の韓相順が兵を率いてきました。

 羅清は、遜将軍、韓相順を呼び寄せて会談したのです。江夏皇帝は、天に仇なすもので、皇帝としては認められない。約束を破り、英俊を殺した。江夏皇帝、それに味方する者を粛正しなければならない。当面、略の地、哀の地、惣の地は、遜将軍がその軍兵で治めること。羅清は、遜将軍配下以外の兵を束ね、江夏皇帝の勢力を殲滅する。新しい国の態勢を作るのに障害となる事象を排除する。これを基本として、迅速に行動を起こすこととした。

 羅清は、揚剣庸のところに出向きました。今後の方針を伝え、江夏皇帝に従うのか揚剣庸に尋ねたのです。揚剣庸は、江夏皇帝のもとへ行きたいと述べました。羅清は、それを認めて一日の余裕を与えたのです。揚剣庸は、兵を率いて晴河を渡りました。使った船を全て、哀の港に帰しました。羅清は、揚剣庸が別れ際に涙を浮かべていたのを見たのです。

 翌日になって、征伐軍と称し、羅清が総大将となって哀の地を出発しました。皇帝第三軍約一万を王羅清、哀の軍約六千を林春沢、略の軍約五千を韓相順、遜将軍の軍兵から五千を割き范項順、それぞれの武将が指揮し、総勢約二万六千の軍勢で出発したのです。

 北の潘国は、英俊討伐のため都京丘が手薄になっていることを知り、大挙して陵の京丘に侵入したのです。何将軍と近衛兵が、潘国軍を宮殿近くで応戦しておりました。営の地の太守高顕項は、英俊の仇をなす江夏皇帝を討つため、京丘に兵を進めたのですが、潘国軍が侵略するのを認めると、何将軍と共に潘国軍と戦いました。昨日になって、揚剣庸の率いる軍も加わりました。一時的に、闘いは膠着状態となったのです。
 揚剣庸は、闘いが膠着状態となったのを見ると、少なくなった兵を率いて宮殿に侵入しました。近衛兵と戦い、中心を破って江夏皇帝と張学参を見つけると、この二人を斬り殺しました。揚剣庸は、その場で剣を捨てると、近衛兵が群がって揚剣庸に襲いかかり、揚剣庸は果てました。

 潘国軍は、王羅清の率いる大軍が、京丘に攻め上ってくることを知り、退却を始めたのです。羅清が京丘近くに行くと、そこには営の太守高顕項が軍を率いて待機していました。羅清の姿を見ると、馬で駆け寄り状況を説明したのです。
 北の潘国軍が一昨日侵攻してきた。何蒙冉将軍の皇帝第二軍と営の軍がこれと対峙し、膠着状態となっていると説明しました。江夏皇帝と張学参は、遺恨があったのだろう、揚剣庸によって殺され、揚剣庸も果てたと説明をしたのです。
 羅清は、高顕項に京丘の守備を任せ、何将軍を吸収して、四万に近い軍を指揮して潘国軍の追討を開始したのです。凄まじい早さで潘国軍に追い付き、次々と殲滅に近いほどの損害を与えました。谷には潘国の兵士が堆く折り重なり、平原には至るところに兵が斃れていました。
 潘国の都城近くまで攻め上がりました。落ちのびる兵を半分ほど入れると、門が閉じました。場内に入れなかった兵士は、武器を捨てて山に向かって逃げていきました。羅清は、逃げる兵士達に弓矢を浴びさせました。多くの兵士が、矢で斃れていきました。
 羅清は、更に城門を打ち破り、自ら都城に入ったのです。住民に、宮殿まで案内させました。近衛兵が宮殿の守備に着いているのが見えたのです。羅清は、何将軍の軍を中に入れ、住家の屋根などの高みに兵を配置し、弓矢を射させました。多くの近衛兵が、次々と斃れていきました。羅清は、潘国は戦意を喪失したと思いましたが、宮殿に火をかけさせました。勢いよく宮殿に火が回りました。
 十人ほどの武人に囲まれた、四十歳ほどの王冠を頂いた男が、宮殿から出てきて、羅清の前まで進み出てきました。
「私は、潘の国王である。私の命はどうなってもよい。身から出た錆だから。残った住民と、兵の命だけは助けて欲しい。」
羅清は、幾人かの住民や武人に、国王であるかを尋ねました。国王であることを確かめると、羅清は剣を抜きました。
「私は、陵の国の武将、王羅清という者である。」
羅清は、そういうと剣を国王の左胸を貫き通した。そして大声で言ったのです。
「闘いは終わった。これからは、当分の間、この地を陵の国が治める。陵の武将、林春沢に治めさせる。」
羅清は、そう言うと林春沢と、哀の兵士を残して京丘目指して引き上げていった。

 王羅清は、潘の国を滅ぼし、京丘に戻りました。営の太守高顕項、皇帝第一軍将軍遜梁浩、皇帝第二軍将軍何蒙冉、略の武将韓相順、王羅清の五人が会談したのです。会談を記録する者として、営の執事董韻も同席しました。取り敢えず陵の国の中を、誰が治めるのかを話し合いました。その結果は、次のとおりになりました。
 略の地は韓相順と白亮、哀と惣の二つの地は遜将軍、丘の地は羅清が治めることとしたのです。更に、兵の配置は、遜将軍は皇帝第一軍及び残った惣軍の兵で、惣の地に置くこととしました。皇帝第二軍は何将軍、皇帝第三軍は范項順がそれぞれ指揮し、京丘に配置することとし、近衛兵は廃止することとしました。営の地は、これまでのまま高顕項が治めることとし、羅清は、陵の国の政全般の統括に当たることしました。

 会談でそれを決めると、暫く誰も話しをする者がいませんでした。静まり返って、重苦しい雰囲気となりました。誰もが、英俊のことを考えていたからでした。そんな中で、営の執事董韻が言ったのです。
「江夏皇帝の弔いをしたら如何でしょうか。」
その言葉を聞くと、遜将軍が答えるように言いました。
「江夏皇帝は、英俊の死に責任があるのではないか。」
董韻は、静かに言いました。
「江夏皇帝に全く責任がないとは言いません。突き詰めて言えば、揚翔坡及び張学参に唆されたのではないのでしょうか。それぞれが思いある皇帝でした。悪い思いがあるでしょうが、懐かしく、良い想い出もあるはずです。劉家の最後の皇帝として、是非、弔いをされた方がよいと思います。」
 董韻が発議したとおり、宮殿内の庭に、ささやかな祭壇が設けられ、弔いが行われました。羅清を始め、将軍、太守などが、それぞれ百人ほどの兵を率いて、それぞれ祭壇に向かって参列をしました。

 祭壇は董韻が仕切り、弔いの読経が済むと、董韻が羅清に言いました。
「江夏皇帝は天の慈しみを受けたことでしょう。後のことは、よろしくお取りはからいねがいます。」
そう言うと、遜将軍、営の太守高顕項、略の韓相順は、羅清に挨拶をした後、それぞれの地に向かうため宮殿から広場に出ました。羅清も見送るため、広場に出たのです。
 広場に出ると、五十人ほどの僧兵が隊を組んで立っているのが見えました。高顕項に従う董韻を見ると、僧兵の一人が董韻の元に行きました。羅清は、その者が龍慧寺で鍛錬した、天寿院の僧兵だと分かりました。その僧兵は、羅清に一礼した後、董韻に向かって礼をしました。
「董韻様、お迎えに上がりました。」
董韻は、その者に礼を返し、前に進むと向きを羅清と高顕項に向かいました。
「私は、天寿院に入ります。色々お世話になりました。天寿院の翁は天に帰られます。」
更に董韻は、言いました。
「皆様も分かったかと思います。紅蘭様は、天の人です。それも天帝の姫で、天では「やない姫」と呼ばれている貴い方です。英俊殿は、必ず甦ることでしよう。やない姫様には、それだけの力がございます。直ぐとはいかないでしようが、一年ほどで甦ることでしよう。だから、悲しまないように。」
董韻の言葉を聞いた者は、唖然とし、次には歓びを感じたのです。董韻は、一礼をした後、僧兵に守られるようにその場を離れていきました。その途中、董韻は立ち止まり、広場にいた二人の女人に、左手を延べて宮殿の方に行くように滑らせました。
「まだ、祭壇がございます。祈りを捧げてください。」
そう言うと、董韻は再び歩き出して広場から姿を消しました。
 二人の女人は、宮殿の門に向かって歩き出しました。羅清は歩いてくるのは、江夏皇帝の妃桂英、もう一人は遼南山の娘であることが分かりました。その二人の女人を見つめると、羅清は、憎しみや怒りが心から消えていくのを感じました。

 終わりなりますが、斃れた英俊のことをお話しします。
 やない姫は、英俊の亡骸を天の国へと抱き運びました。白蓮の池の辺りの花畑の中に、英俊の亡骸を横たえたのです。やない姫は、英俊の身体に突き刺さった四本の矢を抜いて、傷口を池の水で清めました。
 やない姫は、英俊を見つめていると、涙が頬を伝って流れて止まなかったのです。暫くして、意を決したように呟きました。
「英俊、あなたの命を戻そう。でも、再び会えるかどうか、私にも分からない。」
そして右手の掌を英俊の左胸の上で、ゆっくり回し始めたのです。間もなくすると英俊は、息を吹き返しましたが、眠りから覚めることはなかったのです。時が経つにつれて英俊の姿は、若くなっていきました。少年となり、幼児となり、遂に赤児となったのです。尚も、やない姫が右手で円を描くように回すと、英俊は白く輝く玉となり、宙に浮いて漂い始めました。
「英俊、一年漂い続けます。そして元の姿に戻るでしょう。地上のどこかに、降り立つでしょう。どこへ行くのか、私にも分かりません。」
やない姫が、そう白く輝く玉に語りかけました。白く輝く玉は、透明な玉に変わり風に吹かれて漂い流れていきました。やない姫は、その玉が見えなくなるまで見つめていました。見えなくなると、やない姫は目を閉じて俯いたのでした。閉じた目から、また一筋の涙が頬を伝いました。



 

 「英俊と紅蘭」
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