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「英俊と紅蘭」 第五話
佐 藤 悟 郎
( 第一話 第二話 第三話 第四話 第五話 第六話 第七話 第八話 )
遜将軍は、潘国軍に勝利すると、英俊に急いで京丘に戻るように言いました。遜将軍は、京丘には江夏皇子の他、少数の兵しかいないのを不安に思っていたのです。 英俊は、遜将軍と何将軍に、高顕項に都京丘の守備を依頼したことを話しました。それにしても英俊は、都京丘の状況が心配で、軍を率いて急ぎ京丘へと向かいました。夜を徹しての行軍で、夜も明けた頃、京丘を望むことのできる峠にたどり着いたのです。京丘は、霞の中で薄らと浮き立って見えました。 「煙の上がっている様子はないな。」 英俊は、側に来た紅蘭に言いました。 「争いは起きていないでしょう。でも、急ぎましょう。」 紅蘭は、促すように英俊に言いました。英俊は、大きく頷き、更に軍を進めました。 昼近くになって、英俊の軍は京丘に入りました。多くの群衆に迎えられ、丘の上にある宮殿へと英俊の軍は向かいました。そこには高顕項の兵が整然と隊伍を組んでいるのが見えました。英俊は、宮殿の前の広場に兵や馬などを留めさせました。英俊は、一人で馬から降りて宮殿の門へと向かったのです。江夏皇子は、高顕項を伴い、門の前で立っておりました。英俊は、皇子の前まで行くと、恭しく礼をしました。 「潘の軍勢を追い払いました。当分、陵へ攻めてくることはないと思われます。」 英俊は、そう言った後に 「遜将軍と何将軍は、念のため四日程、国境に留まるとのことです。」 と、更に言いました。江夏皇子は、嬉しそうに英俊の手を握りました。 「誰もいなくなって、寂しい思いをした。それでも、高顕項殿が来てくれ、また町の民が来てくれ、荒れたところを片付けてくれている。」 江夏皇子は、門の中を指さして笑顔を見せて言ったのです。 それから英俊は、紅蘭と羅清、それに主な将兵を呼び寄せ、兵を、宮殿の守備に当たらせる者、宮殿内の片付けをする者を割り当てさせ、残りの兵には休息をとらせるように指示をしました。
遜将軍と何将軍の兵が戻ってきたときも、大勢の群衆に迎えられました。二人の将軍は、門の前に立つ江夏皇子に報告を終えると、兵達に休息を与えました。翌日になると、江夏皇子は、遜将軍、何将軍、英俊、紅蘭、羅清を宮殿の皇子の間に呼び寄せ、今後のことについて話し合いをしました。 遜将軍が、天井を見つめてから、言いました。 「何はともあれ、江夏皇子には、早急に皇帝の座に就いていただかなくてはなりません。政は、何を為すのにも、皇帝の名の下で行われるのです。」 更に、先日誅殺した、江夏皇子の義母弟烈稜について話しました。 「烈稜殿が皇帝の座を天寿院に請うたのですが、天寿院が認めなかったのです。天寿院の長老、寿翁様は天の国の縁の人と聞いております。烈稜殿には、皇帝の位を継ぐ正当な理由がないと言われ、皇帝の位を授けることを拒まれたのです。」 遜将軍の説明が終わりました。一同は静まり返ったのです。暫くしてから、江夏皇子が言いました。 「では、明日にでも天寿院に出向いていこう。皆も一緒に行ってくれないか。」 江夏皇子は、急いで行わなければならないことがあると言いました。一つに、英俊を将軍に任命すること、もう一つに、高顕項を太守に任命することでした。いずれも、皇帝の地位が必要だと言いました。
翌日は、爽やかに晴れた日で、江夏皇子以下六人が、天寿院に向かいました。宮殿が東の丘にあるのに対し、天寿院は京丘の町を挟んで西の丘に社がありました。宮殿にも増して広い土地でした。深い森に囲まれ、社の周りには三重の深い濠が巡らしてありました。その森一帯に、多くの僧兵が配置されており、堅固に守られておりました。 江夏皇子一行は、参道に入って間もなく、僧兵に行く手を阻まれました。皆、馬から降りて馬を僧兵に渡しました。僧兵の内の三名が、江夏皇子の前に立ち、案内をすると言いました。三名の僧兵は、江夏皇子の次に、英俊と紅蘭の前に立ち、深々と礼をしたのです。三名は、いずれも龍慧寺での門弟だったのです。 「龍慧寺と天寿院は、相互に繋がりがございます。龍慧寺で学んだ者の多くが、ここで勤めをしております。」 と言っていた。三人の僧兵に案内され、社の控室に入った。程なくして、長老が姿を見せた。 「早速だが、何用で来られましたか。」 長老は、そう言って一人一人の顔を見つめたのです。長老は、紅蘭を見つめたとき、少し驚いた目をしましたが、直ぐに落ち着いて軽く頷きと思える会釈を見せました。紅蘭も軽い頷きを返しました。その遣り取りについては、他の誰も気付きませんでした。中央の席に座っていた江夏皇子が言いました。 「私は、先帝の皇子、劉江夏と言います。この度、皇帝の位を継ぎたく、お願いに上がりました。」 長老は、江夏皇子を見つめました。そして一瞬、紅蘭に目をやりました。紅蘭の頷いているのを見たのです。 「分かりました。冠は神殿にあります。神殿にご案内いたします。」 江夏皇子一行は、神殿に案内されて、江夏皇子は長老の手で冠を戴きました。儀式が終わると、冠を飾りのついた箱にしまい、江夏皇子が抱きかかえて宮殿へと持ち帰りました。ここに江夏皇子は、正式に皇帝の座に就くことになったのです。その夜、内々のお祝いをしたのは言うまでもありません。
江夏皇帝は、夜明けると起きて宮殿の最上階に上がり、西方の天宝山を見ました。朝日を受けて、青く輝いていました。 「英俊を将軍に、高顕項を太守に任命しよう。英俊は、龍慧寺の指導者で、適任である。紅蘭と羅清をそれぞれ副将にすれば、万全である。」 「さて、高顕項はどうであろう。先々帝に仕えた将軍の家柄の者である。もう既に、民に信頼されている。都に置くより、新たに領地を分かち与え、太守とするのが良いと思う。」 江夏皇帝は、天を仰ぎ、そして心に決めたのです。 異母弟の烈稜を誅戮したが、烈稜は好意を示さなかった臣下を追放、あるいは殺してしまったのです。儀式、学問等に優れた多くの者も、その行方が分からないままでした。 江夏皇帝は、遜将軍を招き尋ねたのです。 「私は、政に疎いのです。政や儀式、学問に知識のある者、ご存知はないだろうか。」 遜将軍は、暫く考えた。 「烈陵殿は、それらの者を遠ざけた。ただ一人、最も優れた者、遼南山と言う賢者を牢に押し込めております。烈稜殿は、自分が皇帝になった時に、使うつもりだったのでしよう。南山は、それを嫌い牢に入れられたのです。」 それを聞いた江夏皇帝は、牢にいた遼南山を解き放ち、招きました。 「我が弟、烈稜が辱めを与えた。私は烈稜を誅戮し、先日天寿院で、皇帝の位を授かった。これから私に仕え、助けてくれぬか。」 遼南山は、終始江夏皇帝を見つめていました。 「私は、年老いておりますが、身を挺してお仕えいたします。」 そう答えると、深々とお辞儀をしました。 遼南山の起草で、儀式を整え、英俊は第三軍の将軍に、高顕項は太守に任じました。任命に際して、江夏皇帝は、 「英俊殿には、紅蘭と羅清を副将とすること。高太守には、哀と丘の地の一部を分かち、「営」の地として領地を与える。」 と言い添えました。
皇帝は、二人の任命を終わると、王冠を外して奥に仕舞い込み、玉座から立って宮殿の合議所へと移動しました。皇帝を奥に、左に遜将軍、何将軍、高太守と並び、右に英俊、紅蘭、羅清、遼南山が並び、それぞれ椅子に座りました。 会議は、乱に伴う惣、略、哀の各太守の取扱いでした。未だに服従の意志を劉江夏に示していなかったのです。江夏皇帝の近い縁戚にある、惣の太守についても音沙汰がありませんでした。これについては、皇帝の就任式の日を定めて、各太守を呼び寄せることとしました。招集に応じない太守については、縁戚の惣の太守であろうと罷免として領地を没収することとし、罷免の命に服しない太守については、攻め滅ぼすこととしました。
各太守への使いは、英俊が行くことになりました。英俊は、紅蘭と羅清、それに第三軍の兵を率い、皇帝旗を先頭に立てて向かったのです。英俊等は、各太守の地の様子が知りたかったのでした。もし反抗する太守がおれば、戦いを交えるつもりでした。 各太守の元への書翰は遼南山が起草し、江夏皇帝から英俊に手渡されました。大軍を率いての遠征の様相を示しておりました。英俊は、出発に先立ち将兵を集めました。 「この度の遠征では、おそらく戦いは起こらないだろう。曹将軍に代わり、私が第三軍の将軍に就き、日も浅い。第三軍を完全に掌握している訳ではない。ここに集まる各将兵は、率先して私を助けてもらいたい。」 英俊が述べると、二人の将兵が前に進み出た。一人は馬存明、もう一人は范項順だった。二人は英俊に対し、絶対服従を誓い、集まった将兵たちに対して檄を飛ばし、将兵たちは一斉にこれに応じて雄叫びを上げました。最初に惣の地、次に略の地、最後に哀の地を巡ることとしました。
英俊の軍が惣の地に入ると、間もなく惣の兵と出会いました。英俊の軍の先鋒には、英俊と羅清がおり、将兵は皇帝旗を靡かせておりました。それを見た惣の兵は道を大きく開けました。英俊は注意深く惣の兵を見つめながら進みました。そして惣の地の城を望む丘に英俊の軍が姿を現したのです。城の前面には、惣の軍勢が整然と態勢を整えておりました。英俊は、紅蘭と羅清を呼び寄せました。 羅清が五名の将兵を伴い、太守の城へ行くこととしました。皇帝旗を先頭に、羅清等は馬に跨がり城に向かったのです。城門近くになっても、惣の軍勢は道を開ける気配がありませんでした。惣の軍から馬に跨がった一人の将兵が進み出て、羅清に問いかけました。 「私は太守の嫡子、揚剣庸と言います。大軍を率いて何事ですか。用件を伺いたい。」 揚剣庸が言うと、羅清は怪訝そうに 「私は、皇帝第三軍の副将、王羅清と申す。太守に下知する用件がある。」 と答えました。そして更に羅清が言いました。 「皇帝旗を掲げる使者の行く手を遮る。その所業、如何なるものかな。」 それを聞いた揚剣庸は、顔色を変えて馬から降りました。そして城門の前の兵を立ち退かせ、門を開きました。揚剣庸は、自ら羅清等を案内して城の正殿へと行きました。主座に座っていた太守揚翔坡は、皇帝旗を見ると即座に主座から降り、羅清に主座に行くように手を延べました。羅清は、つぶさに太守の振る舞いを見つめ、主座の前で立ちました。 「劉江夏殿が、乱を鎮め皇帝に就いた。皇帝からの用件は、この書面に記してある。」 ひと息ついて、羅清が述べて書状を太守に手渡したのです。更に、羅清は 「劉江夏殿が皇帝に就いたのに、太守にあっては、何の音沙汰もない。何か、拘りでも抱いておられるのか。答えは、皇帝に直に言うこと。皇帝第三軍を率いてきたことを、良く推し測ること。」 と付け加えるように言いました。強ばり震えている太守を横目で見つめながら、羅清は正殿から引き上げました。
英俊は、羅清が戻ってくると略の地に向かいました。夕方になって、晴河の辺に着きました。そこで宿営をし、翌日は空も晴れ、晴河の水も青く輝いておりました。晴河の対岸は哀の地となっておりました。略の地の都は、晴河を下り海の出口にありました。羅清は、晴河の少し下流に多くの船が見えましたので、五名の将兵を率いて皇帝旗を靡かせて行きました。そこは惣の地の軍港だったのです。館に赴くと、そこには太守の嫡男の揚剣庸が迎えました。 「略の地へ行きたいが、船の手配を願いたい。」 揚剣庸は、恭しく羅清に礼を尽くした後に言いました。 「一万の軍勢を一度には船が足りません。せいぜい二千人程となります。それも略の港まで運ぶとすれば、遠いことから往復に時がかかります。一旦、向かいの哀の地に渡り、全軍を集結した上で、陸路で行くのがよろしいかと思います。」 羅清は、揚剣庸の言うことが尤もと思ったのです。 英俊は、羅清からの報告のとおり行動することにしました。最初の軍船で羅清と一緒に揚剣庸も同行しました。対岸には、哀の地の軍港がありました。揚剣庸が羅清を先導して哀の地の責任ある将兵に説明しました。皇帝旗を翻す羅清の率いる兵は、船から下りると直ちに軍港の一角で態勢を整えました。惣の軍船は、哀の軍港から離れ惣の軍港に向かって引き返しました。 哀の地の都は、軍港から見える近く丘の上にありました。軍港の将兵からの知らせを受けたのでしょう、千人程の兵が姿を見せました。羅清の率いる皇帝軍と対峙するように、哀の軍兵は止まりました。その中から五騎が進み出て、軍兵を率いる将兵が一人が羅清に向かって来て、はっきりとした声で言いました。 「まさしく皇帝旗を掲げ、皇帝軍と見受けいたした。よろしければ、何用か伺いたい。」 羅清は、何か聞き覚えのある声と思いながも、一先ず答えました。 「私は、皇帝第三軍の副将、王羅清という者、略の地に向かうところだ。」 それを聞いた哀の将兵は、素早く馬から下りると甲を脱いだ。 「林春沢か、聞き覚えのある声だと思った。」 羅清は、そう言うと甲を脱ぎ、馬から下りた。林春沢は、羅清と龍慧寺で一緒に学んだ者だったのです。林春沢が、哀の地の軍の副将であることを聞きました。羅清は、第三軍の将軍が英俊で、紅蘭が副将であることを教えました。更に、略の後に哀の太守に用件を伝えることを話しました。林春沢は、軍港の責任将兵を呼び、哀の軍船を出して皇帝軍の渡航をさせるように命じたのでした。
惣と哀の軍船で、その日のうちに対岸の哀の地に皇帝軍の全軍が渡り終えたのです。最後の船団で英俊と紅蘭が到着すると、羅清と林春沢が迎えました。英俊と紅蘭は、林春沢を見て微笑みました。 「略の地の境まで送ります。」 林春沢は英俊に言うと、馬を並べて略の地へと向かったのです。二日目の夕刻に略の地との境に着きました。境には比較的広い川がありました。石や岩がゴロゴロしており、水の流れているところは狭く、浅い川だったのです。 「この川は、山の方で雨が降ると、急に水嵩が増すのです。その時の流れは早く、人馬は渡ることができなくなります。」 林春沢は、英俊に川について説明しました。その夜は、哀の地で野営をしました。三日目の朝、英俊達は林春沢と別れ、略の地へと入りました。
英俊が皇帝第三軍の全軍を率いて、惣から哀の地を経て略の地に入ったのです。野営する時は兵達の中に入り、一緒に同じものを食べ、そして兵達に囲まれて眠りました。朝早く起きると、体を鍛えることに励んでいたのです。それを見た軍兵達は、曹将軍と違っていると感じました。曹将軍は、野営の時など、気に入った将兵を集め、酒宴を開き、朝は遅くまで眠っていたのです。
略の地に入り、暫くすると小さな村にさしかかりました。廃屋にも思える家に民が住んでおり、民は襤褸をまとい、気力を失ったように農具を担いでいるのです。 ある田畑で水争いをしているのを見て、英俊は軍を止めました。水路が整っていないために農作物の出来が悪く、水争いになったと分かりました。略の太守は、手が回らないのだろうと思いました。一日、軍兵を出して水路を整え、両方の田畑に水が巡るようにしたのです。 また、貧しい村には、軍糧を割いて分け与えました。軍糧が減ることには、軍兵の誰も不平を言う者はいなかったのです。
略の都に着くと、英俊は賑やかなことに目を疑ったのです。それは貧しい村の民を思ったからでした。晴河の河口にある都、丘には壮麗な館があったのです。 「あれが、略の太守の館です。」 馬什長が指差して言いました。丘で軍を止め、夜になっても略の使いの者の姿は見えなかったのです。英俊は、いかにも不用心と思いました。翌日になって、五百騎程を率いて太守の館に向かいました。残りの兵は、紅蘭の下で休息を取らせたのです。
館の前の広場に、英俊は兵を整えて止まりました。英俊の軍兵を見て、初めて門兵が慌ただしく動き始めたのです。館の中から百騎程の兵が門から出てきました。先頭には、若い将兵と年老いた者がいたのですが、兜などは着けていなかったのです。若い将兵は、年老いた者に尋ねました。 「白亮殿、一体、何者ですか。」 白亮と呼ばれた年老いた者は、それに答えたのです。 「韓相順殿、気を付けなされ。先に掲げられている旗、まさしく皇帝旗です。軍を率いた皇帝の使者、下手をすると略は危うくなります。」 羅清等五人は、皇帝旗を翻させて進んでいきますと、門の道は開かれ、韓相順と呼ばれた若い将兵と白亮は馬から下り、羅清等を迎えました。 「皇帝第三軍の副将王羅清である。皇帝からの下知がある。操太守のところへ案内願いたい。」 羅清の言葉に、二人は恭しく頭を低く下げた。 「私は、略の軍の副将をしております韓相順です。それに、ここにおります者は、太守の執事をしております白亮と言います。これからご案内いたします。」 韓相順が言って案内をしました。羅清は案内されるがまま館に入りました。贅を尽くした館、庭も大いに飾り立てられていたのです。館の中には珍しい物が置いてあり、行き交う女性は、頭を少し下げて通り過ぎて行きました。その女性が行き交う別館と思えるところからは、賑やかな人の声が聞こえてきました。 「太守は、今日、港の商人を招き、会合を開き、飲食をしております。」 白亮は、そう言って羅清を案内していました。韓相順が太守を迎えに行ったのでしょう、突然別館の方からの人声は止みました。
館の正殿に入り、羅清が上座の前に立っていると、間もなく太守がやってきました。酒に酔った、小肥りの男だったのです。ふらついていることから、白亮に扶けられ、ようやく羅清の前に立ちました。 「皇帝からの下知だ、今すぐ読み、返答を願いたい。」 そう羅清が言うと、太守は震える手で受け取り、開いて見たのです。 「私にはよく分からない。政は、ここにおる白亮に任せてある。」 そう言って、書翰を白亮に手渡しました。下知文を読んだ白亮は、みるみるうちに顔色を変えたのです。白亮は、太守に言いいました。 「皇帝の仰せに従いますと、お答えなされ。命が無くなりますぞ。」 そう言うと白亮は、太守を跪かせて返答させようとしました。下知文には、但し書きが書かれていたのでした。 …但し、命に服する意思がないとき、使者たる桓英俊将軍の判断により、責めることがあれば、太守といえども、これを誅殺する。… という下りでした。白亮は、必死になって太守に言わせようと、韓相順に水桶に水を持ってこさせ、頭から太守に浴びせたのです。二杯目の水で、ようやく我に返った太守は、下知文を開き読み、平伏して答えました。 「道々、兵にも逢わず、穏やかな地と思ったが、民は貧しそうに見えた。」 そう言い残して羅清は太守の館を後にしました。
略の地を後にした英俊は、哀の地に入り、和やかに太守と面接しました。哀の太守班迅恒は、何食わぬ顔で言いました。 「哀の北方の地に、高顕項殿という者が領民を治めている。その地は遠方で、私の手も回らぬところです。高顕項殿は、先々帝の高嶺虎将軍の末裔と承知しております。以前は野盗の頭となっていたのですが、今では良く民を治めているようです。」 英俊は、哀の太守が何を言いたいのか、頷きながら聞いておりました。 「私共にも時折使いをくれまして、争う気配は少しもありません。京丘からも遠い地であり、できればその地は、高顕項殿に委ねられた方が良いと思うようになりました。」 英俊は、哀の太守の本意がどこにあるのか計りかねておりましたが、江夏皇帝の意思を明確に告げる必要があると思いました。 「高顕項殿の件、皇帝は太守が言われたとおり、その地を営の地と定め、高顕項殿を営の太守として任命いたしました。各太守が京丘に集まられた折、皇帝の方から伝えられることでしょう。」 英俊が述べると、哀の太守は笑顔で幾度も頷いておりました。 哀の地の軍制や民の暮らしぶりも申し分のない状態でした。英俊は、哀の地を後にして北に向かい、林春沢に途中まで送られました。そして陸路、高太守の営の地を通り京丘に戻ったのです。
英俊が各太守に江夏皇帝の下知文を渡したとおり、各太守は京丘の皇帝の宮殿に参集しました。その日は、皇帝の就任式と称し、各太守は正殿に集まりました。劉江夏は、玉座に座り、右翼に高太守、何将軍、遜将軍が座し、左翼に英俊、紅蘭、羅清が座りました。各太守は、それに対面するように、右から惣の太守揚翔坡、略の太守操岳陵、哀の太守班迅恒が座りました。遜将軍が、座ったまま言いました。 「各太守の列席を頂きました。先帝が崩御され、その後烈稜殿が、皇子の地位にないにもかかわらず、皇帝の位を潜脱しました。その所業と言えば、政を欲しいがままにし、多くの者を殺し、あるいは辱められた。ここに江夏皇子が立ち向かい、鎮められた。」 遜将軍は、そう言い出し、更に 「先日、天寿院にて、江夏皇子は皇帝の冠を頂き、皇帝の位に就いた。この乱に際して、各太守は、その態度、行動を示されなかった。少なくとも反旗を翻すことはなかった。江夏皇子が皇帝に就いたこと、惣の揚翔坡殿、何か申すことがあるか。」 惣の太守は、驚いた様子を見せ、遜将軍を見つめました。 「この度の乱に際しましては、余りにも急な出来事であり、兵を差し向けることできませんでした。皇子が、皇帝を継ぐのは、正統なことであります。一同、皇帝に従い、忠誠を尽くします。」 惣の太守は、そう述べると、三人の太守は、皇帝に深々と礼をしました。
皇帝は、和らいだ顔を見せ、数回頷きを見せました。太守の顔を一人ずつ、覗き込むように見た後 「それぞれ、私に忠誠を誓った。各太守の地位は安堵する。」 「この度の乱に際して、大きく私に貢献された者を紹介する。」 江夏皇帝は、手を差し伸べながら、一人ひとりの紹介を始めた。 「遜将軍、何将軍は、皆も知ってのとおりである。私の右におるのは、高顕項という者で、先々帝の将軍、高嶺虎将軍の子孫の者である。哀と丘の境に、新たに営の地を設け、そこの太守に就けた。」 「左の三名は、順に桓英俊、柳紅蘭、王羅清と申す者である。第三軍の曹将軍は、背いた廉で誅殺した。その後を継いで、桓英俊を第三軍の将軍に命じた。柳紅蘭、王羅清は、その副将である。この三名は、文武で名高い龍慧寺の門の者である。特に、桓英俊と柳紅蘭は、龍慧寺の指導者、王羅清は高弟である。」 江夏皇帝が、そう告げると各太守は、驚きの目で見つめました。
「英俊と紅蘭」 ( 第一話 第二話 第三話 第四話 第五話 第六話 第七話 第八話 )
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