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   「想いは消えず」(その六)

                          佐 藤 悟 郎

 

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 それから十日も経たないうちに、中西編集人がアパートの彼の所に訪れた。彼は中西編集者を部屋に通した。彼の住んでいるところは安アパートだったが、それでも六畳二間があった。
「小奇麗にしていますね。」
そう言って座卓に向かい合って座った。中西編集者は大封筒を座卓の上に載せると、最初に
「景山君、この作品は事実を詳しく書いてあるが、君の経験なのか。」
と彼に尋ねた。彼は、首を振り中西編集者を見つめて言った。
「私も似たり寄ったりの経験をしましたが、この小説は私の経験ではありません。」
そう答えた。話は一緒に土方仕事をしていた若者から聞いた話だと言った。
「最初は酒を飲みながらの話だった。興味があったので、翌日に小説にしたいと話したところ喜んで承知してくれました。日記などの資料を持参して細かく話しくれました。」
そう言って、事実であることを話した。中西編集者は、頷いて聞いていた。そして
「君、この作品を少し手直ししてくれないか。構成的には十分なんだが、文章をもう少し膨らませて、全体を少し長くしてくれないか。呉々も言うが、内容は変えず、このままで良い。承知してくれるか。」
彼は、中西編集者が、何の意図で言っているのか分からなかったが、承知したとばかり頷いた。
「何ページくらい増やせば良いのか。」
と尋ねると
「五ページくらいが良い。できるだろう。」
と、直ぐに中西編集者は答えた。彼は、また数回頷いて
「分かった。直ぐ取りかかるよ。」
と彼が答えると中西編集者は笑顔を見せ、大封筒を彼の前に差し出した。更に、
「それから、君が同人誌「さざ波」で発表した作品をまとめておいてくれないか。今回の作品は、我が社の月刊雑誌「新星雲」に掲載する。他の作品は、反響を見て単行本として編集する。どうだ、良いだろう。」
彼は、中西編集者の話すのを聞いて、信じがたい思いだった。
「自信はないが、感謝するしかない。よろしくお願いします。」
彼は、喜びを胸に秘めて素直に頭を下げた。中西編集者は、その素直さに感心したように微笑んで頷いた。
「これは私からの意見だけれど、景山君、ペンネームを持った方が良いよ。本名でストレートでも良いが、周囲が煩くなる。名の方はそのままで良いが、姓は変えた方が良いと思う。遠山、遠山達夫ではどうだ。」
中西編集者は、彼に押しつけるように言った。彼は、中西編集者が長い年月培ってきた経験からの意見なのだろうと思った。全てを中西編集者に任せようと思った。落ちぶれ果てた現在、自分の力で這い上がることはできないと思った。

 やがて晶成社の月刊雑誌「新星雲」が発売になった。彼の作品は、問題作として一時評判となった。月日が経つと評判も消えていった。
その頃並木恵子は、小説家として名声のある中年の女性作家となっていた。男性を愛さないと噂が立つ独身女性だった。恵子は、何かを期待していたが、表には現さなかった。
 恵子が待っていたのは、景山達夫が世の中に現れてくることだった。彼が、世の中に名を成せば、どのような形でも良かったし、彼が必ず世の中に名を顕す人だと信じていた。恵子は、心の中で彼しか見つめていなかったので、結婚ということについて無関心だった。
恵子は、長い間待った。そして中年の女性になってしまった。彼についての音信もなく、消息も知らず不安になっていた。平凡な男達を見つめ、彼も平凡な男だったのだと思うようになった。しかし長い間、心の支えとして信じてきた彼を忘れることもできず、疑いながらも、なお期待していた。

ある日、恵子は晶成社の月刊雑誌「新星雲」を手にして開いた。目次を見ると遠山達夫という名前が目に止まった。彼を思い出せる新人作家の名前で、「あばら家」という小説だった。内容は、ある権力機関でのスキャンダルの暴露物だと思って読んだのだった。その本は小説としての価値は少ないと、批判的に読み終えた。彼の性格から、暴露本を書くことはないだろうとも思っていた。
 読み終わって作者の経歴を見た時、その作者が本名「景山達夫」、彼本人であることを知ったのだった。恵子は、彼の存在を知ったのに喜びはしなかった。恵子の目には、彼の作品が余りにも拙劣なものに写った。恵子は、彼に落胆し、抱き続けてきた高い希望は崩れ、心に空しさが流れるのだった。

 恵子は、彼という人間像を通して男性を見つめ、彼を理想的な男性に作り上げてしまったことに気付いた。彼の出現は、恵子を失望させたに過ぎなかった。恵子は、自分の周囲を思うと、彼以上に優れた男性が多くいるのに気付いた。
 恵子は、彼の出現を黙殺してしまった。無関心を示し、その反動の生活が始まったのだった。遅い春を楽しむかのように華麗な振る舞いを始め、世間の耳目を惹き付けた。世間では、大きく変身した恵子に、多くの関心を寄せた。

 恵子の男性関係が、マスコミに騒がれた。その男性は、財閥の息子で、しかも作家であり詩人であり、実業家だった。恵子が小説家として世に出てから数年経った苦しい時代に、その男性は恵子に近付き、恵子の成功に多大な力を尽くしたことは事実だった。その男性を結婚の対象としているかと問われたとき、真剣に考えている問題と述べ、別に否定はしなかった。

 恵子の心は揺れ動いた。ある日、恵子の元に親しい作家が訪れた。
「貴女は、何故結婚をしないのですか。」
親しい作家のその問いに、恵子は立ち上がり、窓越に庭の花を見つめ、暫く答えなかった。
「結婚というものが、嫌いですか。」
親しい作家が更に問うと、恵子は振り返って微笑み、軽く言った。
「そう見えまして。私はこれでも、結婚ということは毎日考えていましたの。ある程度の歳まではね。でももう、お婆ちゃんでしょう。そんなことを考えるなんて可笑しいわ。」
恵子は、また顔を庭に向けた。その顔には明るさがなく、瞳が暗く、やり場のない憤りのように見えた。

 恵子は、自分の苦しみ、希望、人生が、どのようなものであったのかを思うと寂しくなった。全てが無駄のように思われてならなかった。将来訪れるはずの幸福を、想像することができなくなったのだった。彼に失望して、初めて自分の頑固さに腹が立った。
「恵子さんは、まだ美しい人です。」
親しい作家の言葉は、恵子にとって信じがたいことだった。たとえ美しい女性であったとしても、意味のないことだと思った。彼に対して抱いた激しい心が恨めしく、未練がましく考えていることさえ恨めしく思った。

 周囲が騒然としている中で、恵子は時々、彼の作品を読み返した。恵子は、自分の作品と比べ、堅苦しい作品と思った。技巧的に粗い面が散見され、小説と言うより自己主張に近いと、何度読み返しても感じた。恵子は、彼の作品の中に、世の中に対する否定的観念を強く見つけ出した。彼が小説家として、失敗するだろうと思った。
『人は元来個人であり、集団や社会は後天的なものである。社会が、個人を圧迫し苦しめ続けている。こんな状態を誰もが、正しいと信じている。社会を維持し続けていくことが、果たして私達に必要なことであるのだろうか。甚だ大きな疑問である。』
『個人の終末は、全世界の終末なのだ。社会的認識のない個人に世界はあり得ない。個人が、余りにも社会のことを考えすぎる。』
その作品が意味するところは、余りにも社会にとって危険な考えであり、受け容れられない考えではないかと、恵子は思ったのだった。
『人は、何故、人を非難するのだろう。人は、何故、思考的、学問的なことを信ずるのだろう。絶対的に正しいものは、何一つ無いはずである。教育そのものが、大きな危険を含有している事実がある。社会や他人は、個人に対して押し付けがましいことをしてはならない。人の真実は、どこを探しても一つしかないから、間違ったお節介はしてはならない。』
恵子は、抽象的な表現に留まっていると思った。恵子は、彼の小説が誰からも賞賛されないことが明らかだと思いもした。
『私は、純心になりたい。私の生きる目的は、ただそれだけである。自分自身に従うだけである。』
恵子は、自己主張で終わっている彼の小説を、低廉なものと見なしていた。幾度も読み終わると、彼に対する希望や憧れが、冷えていくのを感じた。

 恵子は、陽光の中の明るい庭に瞳を凝らした。暗い気持ちの中で、見つめる木々や草花が、明るく美しく思った。恵子は、彼が世の中に出てくるのを心待ちにしていた。それなのに彼が世の中に出現してきたのに喜びがなかった。
 恵子は、明るい庭の中を彼の本を抱きながら歩いていた。恵子は、自分が彼の本を抱いていることに気付いた。
「貴方が言うように、私が滅びてしまえば、そう、確かに私の世界は、全て終わることだわ。」
恵子は、彼に対して大きな間違いをしているのに気付いた。
「私が生きていること、そして貴方が生きていること、これを否定したら、私はどこにも存在しない。」
恵子は、真心を持って彼に接しなかったことを恥じた。自分が求めるもの、それは彼の作品ではなく、彼自身だったことに気付いた。彼の本を抱いて喜んでいるのが、本当の自分の姿であるべきだと思った。内容を批判することではなく、理解することが自分のあるべき姿だと思った。

 彼の作品は、賛否両論の批判を分かち、かなりの話題を起こした。特に、有名な作家の多くは、彼の作品を痛烈に批判し、彼の作品は憂き目を見ていた。その中でただ一人、恵子は沈黙を守った。恵子は、ある雑誌に、彼の作品を中傷した作家に対し、暗に批判を書いた。
『小説家が小説家の作品を批判し、非難することは、どう見ても良いことではない。作品は、作品自体に生命力があることであり、作品自体が決めることである。私は、過去に多くの作品に対し、批判を書いてきた。それら批判めいたことを書いたことを、今はとても恥ずかしいことだと思い反省しております。私は二度と、小説家の作品を批判することはないでしょう。批判することは、実に下らないことです。』
恵子は、この文章を発表すると同時に、自分が属していた社会的思想集団から退いた。

 恵子は、彼に心を籠めて、手紙を書いた。
『私は、貴方の本を抱き、何度も読みました。私は、貴方が世に出て、私の前に現れるのを長い間、お待ちしておりました。貴方のご成功を心より祝福している者でございます。
 遠い昔、私は貴方から、激しい心の手紙をいただいております。私は、返事も出さず、恨みに思っていることと思っております。でも、その手紙が、私の心の支えとなっていたことを信じていただきたいと思います。大切に、その手紙を文箱に入れて持っております。そしてその手紙を時々読み、熱い心を醸し出しておりました。
 長い間、私は、本当に辛い毎日を送りました。貴方を信頼し、時には貴方を疑ったこともあります。しかし、いずれにしても、私が思うのは貴方のことだけでした。友達から貴方の噂を聞きました。良かれ悪しかれ、私は心配をし、そして喜び、悲しみました。
 私は、多くの人を見てきました。私の直感から、貴方が偉くもあり、素晴らしい方だと感じておりました。その日以来、私は貴方に希望をつなぎ、貴方を考えずに生活することができなくなったのです。長く長い、忘れそうな月日が過ぎて、私のこの手紙を手にして、面食らっている貴方の姿を思っております。
 でも、言わせてください。何よりも私は貴方を尊敬し、想っている女でございます。私は、身勝手な女であるかも知れませんが、貴方の前では、ただの女でしかありません。何も貴方に主張はいたしません。』

 恵子がその手紙を投函して帰る途中に、よく立ち寄る書店に入った。最近出版された本の陳列棚を見たとき「遠山達夫作品集」という単行本に目が止った。
 彼の単行本「遠山達夫作品集」が売りに出された。その小品集は、「新星雲」掲載の作品と異なり、純愛小説が多く、中には思想的な作品もあった。爆発的な売れ行きはなかったが、着実に売れていく作品集だった。
 恵子は、その単行本を手に取り、中を開いて少し読み始めた。そこに書かれていたのは、愛情に溢れた物語だと思った。
「あの月刊雑誌のものと違うわ。」
そう思うと、その単行本を買い、足早に自宅に戻った。書斎に入って幾時間もかけて読んだ。美しい洗練された文章、愛が溢れた物語に夢中になって読み続けた。

その中の「初恋」という作品に目が釘付けとなった。
「中学校の同級生に妹がいた。」
という文章から始まっていた。

 それは風もなく、小雨が降る日だった。中学校に入って間もなくのある日、授業が終わってコウモリを差して歩いていると、中学校の隣りある小学校の帰りなのだろう、小学校高学年の女の子が駆けてきて
「私をコウモリの中に入れてちょうだい。」
と言って、私の右側に飛び込んできた。
「ああ、良いよ。」
そう言って私は、左手で持っていたコウモリを右手に持ち替えて、女の子に雨が当たらないようにした。女の子は、時々私を見上げていた。音楽の練習をしていて帰りが遅くなったと言っていた。
「少し、歌いながら歩くわ。良いでしょう。」
女の子は、唱歌「芭蕉布」を口ずさんでいた。歌い終わると、
「どうですか、変ではないですか。」
と私に尋ねた。
「とても上手ですよ。本当に。」
と答えた。冗談ではなく、声が透き通っていて、音程もテンポも快く聞こえたからだった。
 女の子の言うとおりに歩いて行くと、街の雁木通りに出た。
「有難うございました。雁木があるから、もう大丈夫です。」
そう言ってお辞儀をすると、駆け足で御茶屋に入っていった。御茶屋の前を通りかかると、同級生の悦子が店から出てきた。そして店の方に手招きをすると、女の子が出てきた。悦子が女の子に何かを聞いていた。
「達夫君だったの。妹の恵子が濡れないように、コウモリに入れてくれたんだって。」
私は頷いて見せた。
「どうと言うことないさ。」
そう女の子の姉悦子に答えてから、腰を屈めて女の子に言った。
「恵子ちゃんと言うの。とても歌が上手だったよ。」女の子は、溢れんばかりの笑顔を見せて
「達夫兄ちゃん、有難う。」
そう言って手を出したので、握手をして別れたのだった。

 そう、それから私も意識的に行動を共にしたんだわ。達夫さんは、姉と親しい友達の一人だったから、姉と一緒に行動すると、達夫さんに会うことができた。町の祭りではアイスクリームや綿飴、町内の茸狩りでは一緒に藪に入り茸探しをした。虹を二人で並んで見上げているとき、
「虹に登って、虹の上から地上を見たいと思わないか。」
と達夫さんは言った。
「虹に登ることなんてできるの。」
そう私が尋ねると
「勿論、そんなことはできないさ。でも、目を閉じてごらん。」
そう言って達夫さんは、目を閉じました。私も目を閉じたのです。
「さあ、虹に登ろうか。落ちないように。気を付けて。虹の道はふわふわして歩きやすいだろう。」
そんな達夫さんの声に誘導されながら、私は虹を登っていったのです。

 そんな楽しい思い出が書かれていたのです。そして終わりには次のことが書いてありました。

 

 

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